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人・物・情報を猛烈スピードで収集・処理するアレ
兵法好きにはたまらない、孫武、女兵のくだりがでてきます。

話の筋としては、伍子胥が辺境で兵学を極めていた孫武を主人の呉王闔閭に推挙するの巻。

宮城谷作品では常連、というかメインストリームの「志」の比較が出てくるレアな巻。これは「志」という宮城谷作品の根幹を扱うチャンス!と思って安易に手を出したら、火傷しました。2週間、書評かけなかった。orz
「志」を宿してみたものの、
熱くて取り扱いに困ったら、
とりあえず、手離してみよう



自己啓発本やそっち系のセミナーで心が高揚して、「ワイの志はこれや!これを達成するんや!」と目標値化しているなら、その志、ちょっと手放したほうが良いかも。というのも、「志」という象形文字は「動作」ではなく「状態」のことだから。

漢語林先生、登場。

「志」をひくと、「心が行くさま」。英語になおすと「be boud for」。志とは「want to be」と思われがちだけど、そうじゃない。変な表現かもしれませんが、志には私心がない。どこか自分とはかけ離れた、でも根っこが心の深部と鎖で繋がっている、客体視できる思念、それを志というんじゃないか。

その「志」との距離感について、孫武は同化するほど限りなく近く、伍子胥は間に目的(楚を滅亡させる)を挟んでいる、と宮城谷は表現します。
志を持てば、自分がどこに進むかわかるので、発言や行動に一貫性ができ、人・物・情報が猛烈なスピードで集まります。余分なものは自動的に振り落とされるので、畢竟、リソースを選択する力も鍛えられる。一方で、志にピュアであればあるほど、冷徹と受け取られることも増えてきます。自分が理想とした「状態」にそぐわない「動作」はすべて、排除するから。なので、孫武先生、闔閭が戯れにと宮中の女性を兵士にしてみよ、と命令した時に、指示に従わなかった妃の首を何の躊躇もなく斧でぶった切ります。。ガクガク


個人的には「自分には〇〇な志がある」というのは、表現として破綻しているから今後使うのはやめようと思いました。言語化した瞬間にそれは動作になり、状態ではなくなるんですよね。志が指し示す状態は諸行無常、変幻万化。口に出せば出すほど虚しさが増す構造にあります。

あと、読んでいて思ったのは、どんなに崇高な志があろうと、能力や人望があろうと、本人がやりたいこと、ありたい状態のマスに駒をのせるのはかなりの運が必要だということです。年齢を重ねるごとに、周りの悲喜こもごもを観察するにつけ、運を味方につけられるか、というのがめちゃ大事だなと思います。とはいえ、運命の女神フォルトゥーナがいつやってくるかは誰も知らない。フォルトゥーナも知らない。来たるべき時に備えて、素振りは欠かすまい、そんな読了感でした…という最後はよくわからない一般論でお茶を濁す。。

咀嚼、消化するのに時間がかかった。
ごちそうさまでした…
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