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Design the World_8
状況に応じて、問題を発見し、
自ら環境を作りながら解決するのが、
生きたいように生きるコツと思うんだ
玉利康延(Yasunobu Tamari)


Q:どんなことをしていらっしゃいますか?

地域のブランディングやデザイン業、というと勘違いされそうで、最近「なにをしているように見えますか?」って聞いたら、「風土に根ざしたものを、他の人に伝える人ですね」と、言われた。まあ、そうだよね(笑)。

その土地にあるものを徹底的に調べ尽くす。歴史、風景、植生、作物、食べ物。もともと文化人類学者の竹村真一先生のところで勉強してたから、どこに行っても、民俗学的なところに目がいくんだけど。とにかくまずカメラを持って、現地のことをよく知ってるプロデューサーと一緒に『かみさま』を探すのね。八百万の神(やおよろずのかみ)と言ったほうがいいかもしれない。

行った先の風土にどういう『かみさま』がいて、そこからどのような恵みが、作物や食べ物として出現するのか。風土とその中で大切に育まれている暮らしの文脈を、丁寧に掘り起こす。土地に想いをもっている人や地域のブランディングを、ビジュアル表現的な側面からサポートする。それがいまの生業かな。


美味い、美しい、心地よい
 
そういう瞬間に
 
『かみさま』は姿を現わす



『かみさま』が現れる瞬間には法則があってね。季節と人々が延々と営んできたことの延長線上に出てくることが多いんですよ。例えば、5月末の刈り取り直前の麦畑。夕方、夕陽の当たっている時間に、風がさぁーーーっと黄金の穂先の上を走るときに「あ、ネコバスが走った!」って。宮崎駿さんはそれを映画にしたのかなあと思ったり。

あとは、冬の日本海。能登半島の先端にある奥能登塩田村というところで、一晩、釜で塩水を炊き上げる体験したことがあって。漁師の番小屋で、強い北風の音を聞きながら、鍋を作って過す。たまに火の様子を見に行くんだけど、海は荒波、陸は吹雪で、こんなところ、生き辛いだろと普通は考えると思うでしょ。けど、冬の寒い時期でないと食べられない美味いものがたくさんあって。香箱蟹、鱈の白子、2月の一番冷たい水で作った日本酒。冬の日本海は豊かなんですよ。
Q:地域に足を運ぼう、と思ったきっかけをおしえてください

大元をたどると、2005年の愛知万博の長久手会場に置いてあったプラスチックのベンチ。

材質がプラスチックなんだけど、「エコ」です、って紹介されてたのね。茶色く塗装されただけで、どこが『エコ』なんだと。環境バブルをまざまざと見せつけられたというか。それまで『未来』っていうのは、テクノロジーの進化の延長線上にあると信じていた。でも、「環境、環境」と叫んでいる愛知万博の内実は、トヨタを宣伝するためのイベントだった。車を売るための国策に巻き込まれていたわけで。大きな挫折のようなものをつきつけられたわけです。

2003年、僕が全国一斉消灯ムーブメントの『100万人のキャンドルナイト』や、環境社会問題専門の広告会社『サステナ』に関わっていた頃で、環境元年。環境大臣だった小池百合子さんがクールビズを言い出したのが翌2004年。そして2005年にはもうすでに環境バブルになっていた。僕らのすぐ上の世代はITバブルで起業しまくった世代だから、次の世代の僕らは環境問題や社会的課題をテーマにしてムーブメントづくりをしていこうと。だけど、長久手会場のベンチを見て、その想いが砕け散ったよね。『社会的起業』とか『ソーシャルなんとか』っていう言葉に、まるで価値を見出せなくなった。

東京にいて、東京から環境だの社会的変化だのを叫んでいても、無意味なんじゃないか。地方に行ってみよう。2006年から、とりあえず京都を拠点に西日本を回りだした。で、それまでまったく縁の無かった関西圏に行ってみて、自分が『日本』のことを全然知らないことに気がついたの。いま思えば、あれは京都に留学していたようなもんだったんだろうなあ。

それまで26年間、東京と神奈川くらいでしか住んでこなかったし、アメリカの植民地としての東京人、という感覚。1979年、東京生まれだけど、日本ってなに、日本的なるものってなに、というのがわからない。


伊藤若冲「鶏図」・プライス・コレクション


外国人の視点から見た日本が
 
日本を理解する最初の入り口



2006年8月に上野の国立博物館でやっていた『プライスコレクション 若冲と江戸絵画 展』にたまたま足を運んだんだけど、ある鶏の墨の屏風絵の前でしばらく立ち尽くしてね。これはMacでマウスじゃ描けない。筆で一発で書いてるから勢いがあって美しい。色も鉱石を砕いて塗っているというか、貼り付けているわけで、見る角度によって色彩が変わったりする。Adobeのグラフィックソフトじゃ作り出せない世界があったんですよ。それまで3DCGだったり、コンピュータ上で表現できることが最先端であり、そこで表現することが僕たちの時代の表現だと思っていたから衝撃だった。

ちょうど同じ頃、竹村先生が京都造形芸術大学に転籍することになったので、京都に行く理由もできた。プライスコレクションの京都展も始まり、日本画の次は重森三玲の日本庭園、桂離宮修学院離宮などの建築物、っていうふうに京都市内や西日本にある『日本的』なるものを次々と探しにいったんだ。

京町家をリノベーションして住んでみたけど、家のことについてはアレックス・カーさんに学ぶところが大きかった。たまたま情熱大陸に出てて、さまざまなつてを辿って徳島県祖谷にあるアレックス邸 篪庵(ちいおり)に会いに行ったのが2008年の秋頃。彼と出会って、日本のことが好きになった外国人の視点に立つと、日本をより理解できることがわかって。文学だったらラフカディオ・ハーン、彫刻や石のことだったらイサム・ノグチというように。

最初は文化的な側面から『日本』や『風土』を見ていたけど、ダイナミックな変化の乏しい伝統産業寄りの世界より、一次産業のほうが変化を起こせるんじゃないか、と思うようになっていったんだよね。自分が関わってポテンシャルが発揮できる余地があるのは、変化が起きる場所だけなので。


一次産業の中でも主に林業の分野から長年関わることになった地域が、2010年にはじめて行った岡山県西粟倉村で。田舎が一年どう回っているのかを取材して回ったら、春夏秋冬で、風景や食べ物が変化していくのを目の当たりにして。これは他の地域も同じで、それぞれの土地にそれぞれの自然サイクルがある。その中で、その土地の『かみさま』が姿を現わす。

ここ最近だと、神奈川県大井町。丘の上の地域に『かみさま』がまだいっぱい残っていてね。市街化調整区域だから開発されてなくて、大きな巨木や古道がたくさんある。丘の上から南西方向に向けて、空間が抜けている場所があって。眼下には酒匂川、奥に小田原の街並み、さらに先に伊豆半島。手前が森、人工的なもの、遮るものがない。そこに立つと、風の『かみさま』を感じるんですよ(※1)

※1
つい先日、神奈川県大井町のブランディングの足がかりとして、風景をまとめた冊子を作った


風の『かみさま』のいる丘@大井町


いろんな地域に行ってみてわかったのは、『かみさま』を見つけるには、1日=24時間・365日とはちがう、自然のままの時間感覚がわからなくちゃいけないってこと。その感覚を身につけるために、最初は友人の畑に通い詰めてたんだけど、去年から週一回くらいで、練馬区にある『白石農園』に通って、自分で農作物を育ててます。

畑で作物を育てるとわかるんだけど、農作業って天候に左右されるのね。「来週の日曜日に作業しましょう」と畑に行くメンバーと約束しても、当日が雨だったら作業なんてできない。でも、都会の時間感覚だと「あらかじめ1週間前に決めていたんで、来ました」ってなる。それ、おかしいでしょ(笑)。

それに、都会のマンション暮らしをしていると、ついつい季節の変化がわからなくなってしまう。時間感覚を再定義できないだろうか。それで、『hanasaka時計』っていうiPhoneアプリを作った。日本中のどこかから、1日1回写真が送られてくる仕組み。直線的な時間ではなく、自然現象や森羅万象から時間を体感するような窓が欲しいなと思ってね。
人間の都合で感じる時間感覚では、『かみさま』はなかなか見えてこない。『かみさま』が見えるところに、本当の豊かさってあるんじゃないかな。

あと、僕はスーパーマーケットという所が苦手で。あの空間に流れている音楽の酷さと、整然と並べれて顔の見えない記号化された野菜や肉魚を見てても、まるで料理の創作意欲が掻きたてられないんですよ。なので、ずっと「食べ物の仕事がしたい」と言いつづけてきた。同時並行で、日本各地の現場を旅することも始めて。いろんな人に導かれながら、グローバリゼーションやインターネットによって共通化されてしまうものの反対にあるものを延々と探したのね。そして、2013年に、東北の一次産業になんとかするぞ、と言う高橋博之さんと出会った。

当時の東北は震災後2年目で、食についてはもっとも困っていた地域で、原発の風評被害もあった。大変なところからオファーがきたな、これは相当な覚悟が必要だぞ。高橋さんが自分の世界観を表現するのに困っている。とにかく現地に連れていってくれたら、ビジュアル化できるから。そう言って、東北6県回ってるうちに、『東北食べる通信』という、都市の消費者と生産者を繋ぐ雑誌が生まれた。2013年創刊で、現在47号。よく続いてるな、と思うよ。


「東北食べる通信」2015年6月号の取材風景


Q:やってみてどうでしたか?

流行廃りをただただ追いかけて、土地の文脈を丸無視して、まったく新しいものを作ろうとするハイエナのような人が最近、増えてきたように感じるよね。まったく新しいものをつくる必然性がある地域もあるにはあるんだろうけど、アメリカ西海岸のフロンティアで、なにもなかった土地にハリウッドやシリコンバレーを作ったのと同じことを、日本の地域でやろうとする。無から有を生み出そうとしてるんだけど、なんかちょっと違和感があって。その地域は「無」なの?丁寧に掘り起こせば、ちゃんとした文脈が出てくるんじゃないの?

その土地の風土と、新しいもの、二つの文脈を半々くらいのバランスでブランディングしていったほうが、本当に価値あるものが生まれると思うんですよ。そうした丁寧な掘り起こしと向き合いを積み重ねたうえで、新しいことに挑戦するのはとても良いことだと思うんだけど、一番最初の大事な作業をどこもすっ飛ばしがち。

東北食べる通信はそのバランスをいまのところ保っているつもり。例えば、山形の吉田くんがやっているアトツギ編集室なんかは丁寧に土地の文脈を掘り起こしているなと感じるかな。東北はそういうケースがけっこう多い。西日本は商売っ気に走りがちな印象。まあこれもそれぞれの民族性なんだろうね。





Q:やりたいことを実行されているなかで、どのようなものが見えてきましか?

ここ最近見えてきたというか感じているのは、非常に残念なインターネットの現状。

インターネットっていうものは、マスメディアの一方通行の情報発信とちがって、双方向で多様性を生み出すんだ。インターネットが日本で商用化された1995年当時、僕らはそう信じていたし、インターネットのテクノロジーを作った人たちも本気でそう考えていた。だけど、結局のところマスメディアと同じ運命を辿っていて、同じものに収斂されていく。そっち方面に詳しい児玉くんの投稿がタイムリーだった。


土地の記憶を
 
呼び覚ましていく作業は、
 
多様性を生み出す根拠になりうる



掘り出された土地の文脈は、統一して共通化していこうとする流れにたいする、多様性の根拠の一つでありうると思う。その地域の人たちがやりたい活動の土台、それをだれでも触れるような形にすることが、本当の地域ブランディングなんじゃないのと。だけども、どうも東京のシュッとした感じのフォーマットをあてはめて、ただ解りやすくすることを地域ブランディングだと勘違いしている人がいる。

その地域の文脈になんのリンクもなく、ただ見栄えの良いデザインに変えることを『地域ブランディング』だと言い張る魑魅魍魎が増えていて、嫌になります。本当に。IT、環境、社会起業、25才でそうしたラベルをただ貼り替えて、バブルに群がる行為に気持ち悪さを感じて、地域ブランディングの仕事をしてきたつもりだったんだけれど。いまのラベルは地方創生。歴史は繰り返すよね。



Q:次の目標を教えてください

前々からやってみたいなあと思っているのは、自分で意思決定する人が産まれてくる場作り。
テーマはITでも地域創生でも、なんでもいい。形態も私塾なのか、フィールドワークの集まりなのか。

自分が生きたいように生きるためにはどうすればいいのか。少なくとも文科省の教育からその答えは得られなかったのね。多様な価値観の元に『自分自身で生きている』っていう感覚が僕にはあって。明治時代の福沢諭吉が言った「独立自尊」、戦後だと、ソニー創業者の井深大が『設立趣意書』の中で「自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」と書いているその『自由闊達ニシテ愉快ナル』という気風。その時々の状況に応じて、問題を発見し、自ら環境を作りながら解決していくのが、生きたいように生きるコツと思うんだよね(※2)

※2
脱学校の社会」というエントリーに詳しく書きました



白石農園にて(撮影:巣山 サトル


ラベルはこれからもどんどん張り替えられていくし、それに合わせて国家予算がついて、バブルになる。国からの予算流し込み組織みたいなのもあって、大きな金を流し込むことで、いまある小さな種火を台無しにしちゃうと思うのね。そのダメさに気づいて、反旗をひるがえす一個人をどうやって生み出していくか。葉っぱって、太陽が当たる隙間を見つけて、それぞれちがった方向に伸びていくでしょ。それと同じように、寄らば大樹の陰、で大きな流れに身を託すのではなくて、堂々と「わたしは〇〇だ」と行動できる人が増えていったらいいなと思うんですよ。たとえば、「まつろわぬ民」として、常に中央政権と闘ってきた東北の人たちのような。まぁ、そもそも文部科学省の国の教育を受けてしまっている時点でダメなのかもしれないけど。

「地方創生の現場で苦労してます、どうしたらいいのかわからないんです」という人と一緒に何かできてもいい。アウトプットや現場をもっているなら、大企業で工業デザインやってますとか、営業やってますとかでもいいと思う。場の参加資格は表現者であること。地方創生の流れに真っ正面から冷や水をぶっかけて、もう一回再び闘い始めないといけないって感じです。




玉利康延

1979年東京都練馬区生まれ。16歳で高校中退後、18歳でエレファントデザイン株式会社で工業デザインを学び。2000年、20歳でフリーランスになる。以後、様々な企業、NPOに関わりつつも基本的には個人で活動している。

2002年より、​環境問題やソーシャルビジネス、地域再生に関わるデザインを手がける。東日本大震災を契機に、都市の生活者と地方の1次生産者をつなぐ「東北食べる通信」を手掛けるなど、食へとフィールドを移す。ひとりの都市生活者として、都市での自然との向き合い方や、21世紀の食卓のあり方を考えている。

Blog : http://tamalog.me/
Twitter : @tamachangg
Facebook : https://www.facebook.com/tamachangg
Email : tamachan.ha.azarashi@gmail.com



Design the World_7
物事って裏側にまわってみると
近づいてみると、使ってみると
ちがう印象だったりするんだよね
鈴木 菜央
http://8ru.jugem.jp/?eid=269


Design the World_6
次から次へとおもしろいことができるようになる。
どんどん広がるし、まわりが助けてくれますね
笈川 幸司
http://8ru.jugem.jp/?eid=251


Design the World_5
じぶんの生きかたそのものが、
つねに仮説⇔検証なのかもしれないね
鶴 直人
http://8ru.jugem.jp/?eid=247


Design the World_4
勝手にレールがひかれてってる感じがするんです。
ぼくはそれをただ受けとっていく
関 太郎
http://8ru.jugem.jp/?eid=229


Design the World_3
○か×かじゃなくて、なにをじぶんはやりたいのか
――その想いをもちつづけることだよ
恵良 隆二
http://8ru.jugem.jp/?eid=209


Design the World_2
目のまえのものに真摯にとりくむことが、
着実に「常識」をかえていくんだと思う
湯川 伸矢
http://8ru.jugem.jp/?eid=199


Design the World_1
"I"を"We"にするための場づくり。
これがつぎの目標かな
嘉村 賢州
http://8ru.jugem.jp/?eid=179









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