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HOLACRACY
役職をなくし生産性を上げるまったく新しい組織マネジメント
評価:
ブライアン・J・ロバートソン
PHP研究所
¥ 1,836
(2016-01-23)
コメント:変化の激しい環境で生き残るための新しい組織の形、ホラクラシー手法の解説本。あくまで訳本なので、実感値に限界がある。日本人による、日本での実践事例が載った本を切望します!

最新の組織論をキャッチアップするために手に取った本。細胞の活動動画とか、人体の仕組みとかに想いを馳せながら読むと、書いてあることへの理解が深まるような気がします。

個人的にはDynamic Steering(動的運用)がツボりました。

ガチガチに目標を立てて、突き進んでも、現実は凸凹道。計画通りにすんなり前進はできない。なら、ざっくりとした方向性はもちつつも、一山一谷超えるごとに、現実に即して行動を変えていきましょうという考え方。


読んでみての疑問、所感はこんな感じ。

\嫻い噺限を個人から「役割」に移管するメリットは理解したけど、役割にたいする評価(給料)の正当性はどうやって生じるのだろう

▲曠薀ラシー型組織内の情報量は莫大かつハイコンテキストなので、マルチタスクをジャグリングする人でないと息継ぎできなさそう

「ホラクラシー憲法」という言葉が示すとおり、遵法意識の変革と持続が求められそう。組織の意思決定プロセスを根底から変える、という作業は、商鞅の変法(律令制定)にシンクロする部分があると感じた。
最後に、ガバナンス・ミーティングや戦略ミーティングって、ぶっちゃけどんな雰囲気なの?というのがわからなかったので、下記動画を探し出しました。これ見ながら、読むと良いと思うよ!



ミーティングにばかり時間を取られる始末だった。そこでわかったのは、発言権を持つことと、発言を実行に移せることの間には、大きな違いがある、ということだ。有意義な変化がもたらされるように、感知したことを実際に処理できることが肝心なのだ。
 コンセンサスにはそれができなかった。実際のところ、ミーティングはみんなのモノの見方が同じになるように無理強いする場となり、コンセンサスは延々と続くミーティングの苦痛をもたらしただけだった。それでは役にも立だなければ、不健全でもあり、しかも組織の成長とともにますます悪化するだけである。
 だから、コンセンサスは規模の拡大には全くそぐわないし、決定に至るために必要とされる時間とエネルギーの量がパンパじゃないので、この仕組みは大抵すっ飛ばされてしまう。このため、コンセンサスに基づく組織は、明確な構造を持たない組織と同じ問題に陥る。意見の一致に至る場合でも、なかなか変更のきかない妥協の産物であることが多く、自称イノベーターは理想とはほど遠い、カチカチに凝り固まった構造を使って組織を舵取りするハメになるのだ。
 コンセンサスに基づくアプローチは、より多くの人たちの意見を尊重し、活用したいという一心で採り入れられることが多いのだが、本物の自己組織化と敏捷性を企業全体にもたらすことにおいては、効果を発揮することはめったにない。
 ダイナミックで打てば響くような組織になりたいと望むなら、独裁的な権力を完全に放棄するだけではうまくいかない。それだけでなく、個人個人が、自分の領域や仕事の範囲内で、問題に「局所的に」対処する権力を与えられる必要があるのだ。その際、他のみんなにお伺いを立てたり、権限を授けてくれるようリーダーに許可をとったりしなくてもよいことが大切だ。権限委譲の限界とコンセンサスの横暴を乗り越えるためには、みんなに権限を与えるシステムが必要なのだ。
 こうしてシェイの言う都市のメタファーに話が戻ってくるわけだが、実は、近代市民社会そのものも同じなのだ。
 市民であるあなたは、自主的に活動するために、善意ある独裁者に「権限を与えてもらう」必要はない。そもそも、あなたを取り巻く社会の枠組み自体が、他人があなたに権力を振りかぎさない仕組みになっている。これがホラクラシーの核心にある逆転の発想だ。
 みんながそれぞれ権力を持ち行使できるような空間が根本的に確保されていて、誰にもーーーリーダーでさえもーーー他人の権力を横取りできない、そういう権力構造とプロセスを中核にする組織なら、権限を与えてくれるリーダーに頼る必要はもはやない。そこに気づくことが、ホラクラシーヘの第一歩だ。そういうリーダーに代わって、はるかにパワフルなものが手に入る。(p40-41)



 ただし、すべての組織の目的が、美しく、クリエイティブで、先見の明かあると言っているわけではない。ごくありふれた言葉を使いながらも、組織の目的をぴたりと言い表している表現もある。例えば、ゴミ処理会社の目的は、単純に「よりきれいな街にすること」かもしれない。これは、華やかではないかもしれないが、会社のビジネスの背後に存在する「なぜ」を捉えているし、この会社が世界にもたらすことができる、最も適したポテンシャルが表現されている。我が社ホラクラシー・ワンでは、うちの組織の目的をぴたりと捉えた「極上の組織」の2語で表している。
 この表現に至るまでは、発見のプロセスだった。この目的をみんなで決めたのではなく、発見したのである。というのも、組織の目的を明確にすることは、どちらかというと探偵じみた仕事であって、クリエイティブな仕事ではないからだ。
 探しているものは既に存在していて、見つかるのを待っている。子供の人生の目的と同じで、組織の目的とは決定される類のものではないのだ。ただこう自問すればいい。
 「我が社が現在置かれている状況や、手元にあるリソースと人材とキャパシティ、提供する製品やサービス、会社の歴史、市場空間(訳注:マーケティングの新しい概念で、通信技術の進歩により従来の物理的な市場が統合されたもの)などの要素に基づいて、世界のために何かを創り出したり表明したりできるような、我が社が持つ核心的なポテンシャルは何だろう?なぜ世界はそれを必要としているのだろう?」
 あなたの組織の目的を的確に捉えた簡潔な表現が今すぐ思い浮かばなくても心配することはない。ホラクラシーでは万事がそうだが、目的を明らかにすることも、ダイナミックで継続的なプロセスなのだ。また、組織の目的は、実践で適用できることのほうが、優美な言い回しよりもはるかに重要なことである。目的とは、額に入れて壁に飾りインスピレーションの源にするものではなく、ビジネスに勤しみながら日々使用するツールなのだ。
 権限分配型のモデルに移行するにつれて、目的はあらゆるレベル、あらゆる活動分野において意思決定の拠り所となる。ガバナンスとは、組織の目的を最もうまく実現するために組織と組織内の役割を構築する仕組みであり、オペレーションとはその構造を使い、世界で目的を実現することである。
 ホラクラシーの真の狙いは、組織がその目的をよりよく表現できるようにすることにある。この点を含め、多くの点においてホラクラシーは、「人民の、人民による、人民のための」ガバナンスではなく、「組織の、人々を通じた、目的のための」ガバナンスなのだ。(p60-61)




前の章で話したように、権限を分配する場合、「個人へ」ではなく、個人が担う「役割へ」と権限が分配される。役割には、ある仕事を実行し、目標を達成する権限が与えられる。役割に伴う責任が大きくなりすぎて、一人では担えなくなった場合には、その役割を複数の役割に分解して、「サークル」が作られる。
 ホラクラシーの目的は仕事を体系化することであって、人を組織することではない。 だから、どの役割を担当するかは自己管理に任されていて、自分でかなり自由に決められる。人は会社組織の「つなぎ目」の一つとして体系に組み入れられるのではなく、フリーエージェントの選手さながらに、組織の構造をあちこち見て回り、気に入った役割を引き受けることができる。それだけでなく、組織の異なる部分に属する複数の役割を同時に引き受けることだってできるのだ。
 ザッポスでそんな自由を満喫しているのがマットだ。もともとソーシヤルメディアーチームの社員だが、同僚曰く「社内コミユニケーション、向上・開発システム、ホラクラシー推進など、組織横断的な数々のプロジェクトでも活躍するようになった。以前ならとてもしゃないがこんなふうにはできなかった」(p68-69)




ホラクラシーの基盤

 ここまでの話をまとめると、ホラクラシー憲法は、人間社会全体の基盤である二つの要素を組織に取り入れている。一つは明確なガバナンス・プロセスを通じた法の支配。もう一つは、明確に定義され、さまざまな役割に分配された領域に関わる所有権。
 こうした特徴により、日々の社会生活で馴染んでいる相互に連結された自律性が実現するのだが、重要な違いが存在する。それは「領域はあなたの役割に所有権を認めるのであって、あなた自身に所有権を認めるのではない」という点だ。
 ホラクラシーを導入した組織で何らかの役割を引き受ける場合、あなたが負う責任は世話役のようなものだ。役割を管掌するのは自分のためではなく、あくまでも役目のためである。あなたの仕事は、役割の所有物を管理し、役割の目的のために役割の持つ権限を行使することで、ひいては、それがサークルの目的にも、結局は組織全体の目的にも役に立つ。
 役割の担当者としてのあなたの義務は、親が子供を養育する義務のように、世間を渡る自分以外の存在に尽くすという神聖な務めになる。あなた自身の自由意思で行われる、利他的な愛と奉仕の行動なのだ。(p137)




現象学的な複雑系において、未来に影響する要因があまりにも多いと、科学的手法はほとんど役に立たない。天気について考えてみればわかる。たかだか2、3日先の天気さえ正確に予測することは不可能なのだ。
アルペルト・アインシュタイン『アインシュタイン選集3 アインシュタインとその思想』(p204)




 タレブとバイッホッカーの指摘の通り、従来型組織を取り巻く状況では、戦略とは予測と制御の発想の本質そのものだ。戦略を策定する場合、私たちはまず正しいゴールを定め、次にそこに至る道を設計する。そのアプローチ全体が思い込みに立脚しているのだ。予測できる可能性のあるものも存在するが、絶対に予測不可能なもののほうが断然多い。
 経済や特定の業界が未来にどんな状況に置かれているかを知ることはできないし、将来どんな発明が市場を分裂させることになるのかも、どんな機会が生じているのかも予見することはできない。こういう予測できるはずのないものを予測しようとして、たびたび虚しい努力が注がれている事柄を指摘するよりも、確実に予測できることを至極短いリストにまとめるほうが、実際のところよっぽど簡単なのだ。
 予測不可能な世界の中で、未来を予測しようとする時、私たちは自分自身を欺いているだけではない。もっと厄介なのは、現実を感知し対応する能力を抑制することだ。「私は5年後にXになっているはずだ」のように、「はず」という言葉を課す場合、あなたはその成果に執着を生じている。執着があると、現実がその方向に向かっていない場合や、達成しようと最初に設定したものと矛盾する機会が生じた場合、感知する能力が十分に発揮されない。
 こういう窮状をわかりやすく説明するために、私のお気に入りのメタファーを使おう。このメタファーは、何年も前に、アジヤイルーソフトウェア開発手法を使う仕事で入手したもので、伝統的な戦略に比べ、ホラクラシーのアプローチがいかに画期的か、両者の違いを際立たせてくれるはずだ。その後で、ホラクラシー憲法で定める「戦略」とは何か、また、戦略をどのように仕事に生かせばよいか、基本的なポイントを学んでもらおう。
 大多数の現代組織が経営されているやり方で自転車に乗ることを想像してもらいたい。あなたはまず、大きな会議を招集して、ハンドルをどの角度に保つべきかを決める。また、できる限り詳しく行程を表した地図を作るだろう。既知のすべての障害物や、それらを避けるためのコース変更に必要な、正確なタイミングと角度も考慮に入れるだろう。
 それが済むとあなたは自転車にまたがり、計算された角度を厳守してハンドルを持ち、目を閉じ、計画通りに進路を取る。たとえかろうじて転倒することなく旅を終えたとしても、目標地点に到達する見込みはないだろう。転倒したら「なんで一回でちゃんとできなかったんだろう?」「ヘマをしたのは誰だ?」などと思うかもしれない。
 多くの組織が戦略の策定に用いているアプローチも、このバカげたやり方と似たり寄ったりなのである。それとは対照的に、ホラクラシーを基盤とする組織は、ダイナミック・ステアリングの理論的枠組みを使い、ごく普通に自転車に乗るやり方に近い感覚で運営される。ダイナミック・ステアリングとは、現実のフィードバックに照らして絶えず調整することであり、より有機的で突発的な道を走行するのに役立つ。サイクリストを観察してみると、一流のサイクリストでさえ、微妙ながらも絶えず進路をうねらせているのがわかるだろう。
 乗り手は、自分の現在の状態と環境について感覚フィードバックを絶えず取り込み、方向、スピード、バランス、空気力学にわずかな修正を加えているのだ。うねりが生じるのは、環境と装備からくる多くの制約を守るために、乗り手が迅速なフィードバックを利用して、前進しながら動的平衡を保っているからである。「正しい」道を前もって正確に予測することに大量の時間と于不ルギーを浪費する代わりに、サイクリストは自分の目的を念頭に置き、一瞬一瞬に身を入れて、前進しながら最も自然な道を見つけていく。
 とは言っても、プランがないわけでも、少なくともある程度ルートを想定していないわけでもない。ただ、刻々と変わる現実に絶えず身を委ね、自分が持つ「今この瞬間に感知し対応する能力」を信頼することによりコントロールは高まるのであって、決して弱まることはない。同様に組織においても、もっと執拗に現実に向き合い、絶えず適応すれば、制御性を高める機会が手に入るのだ。
 予測された具体的な成果に執着すると、現実が予測と一致しない場合、現実と真っ向からぶつかりあって身動きが取れなくなる恐れがある。自分自身で設定した道を歩んでいないことに気づくと、時には無意識のうちに、「こんなはずはない」と結論付けることがある。
 そういうふうに現実を捉えると、現実の変化に対応する私たちの能力が発揮できなくなるばかりか、歓迎されない現実に歯向かいたい気分に駆られて、自分か予測したビジョンに現実のほうを無理やり合わせようとする。今日のビジネス界の目まぐるしく変化する複雑な環境を航海するには、この戦略はあまりにお粗末だ。私たちが練りに練ったプランと現実とが衝突する時、勝つのはいつも現実のほうなのだ。
 注意しておくべきことがある。「ハンドルを操作をしない」と自転車に乗れないのと同じで、制御性を高めるもっとダイナミックなアプローチを取り入れるのは、単に「予測をしない」こととは全く違う。
 思い込みも時には有益であり、ただ、組織を制御するための主要なツールではないという認識を持って、予測と計画に対する私たちの関わり方を変えることが大切だ。また、現実に反応しながら絶えず(ンドルをさばけるように、今この時この場所に完全に身を入れることである。ダイナミックーステアリングが首尾よく行けば、組織とその内部の人々は、道を究めた武道家やいわゆる悟りの境地に至った人のように、日々何か起ころうとも動じることなく、今という時としっかり向き合って行動することができるのである。(p206-209)
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