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サピエンス全史 上巻
評価:
ユヴァル・ノア・ハラリ
河出書房新社
¥ 2,050
(2016-09-08)
コメント:ホモ・サピエンスの歴史。マッド・リドレー(生物学者)とかロミラ・ターパル(古代インド史家)とか、アルビン・トフラー(未来学者)とか読んでるよ、あまり新鮮味はないかも。

「私たちの祖先は自然と調和して暮らしていたと主張する環境保護運動家を信じてはならない」という著者の主張が、具体的な数値や事実を伴って展開されていて、「うむ、これは信じるまい」と思った。人類の環境にたいする侵略、みたいな文脈が他の本にない視点で面白かった。

生物学的観点から、社会の発展を考察するなら、本書と同時並行で「赤の女王 性とヒトの進化」を読むことを勧める。人間の社会が生物の進化の延長線上にあることがよくわかるから。

システムとして社会の発展を考察するなら、や「富の未来(上・下)」を読むことをお勧めしたい。

牧畜から農耕に社会が変容し、そこに文字・数学・官僚機構・法律が生まれて行く過程を知りたいなら、「南アジア史 1」「国家の起源と伝承―古代インド社会史論」がお勧め。場所は古代インドと限定されるけど、20世紀の思想家たちが掘り掘りした地域・領域なので、面白いことは請け負います。有名どころでいくと、マックス・ウェバーとかカール・マルクスとか、古代インド史を研究してます。
 狩猟採集民の拡がりに伴う絶滅の第一波に続いて、農耕民の拡がりに伴う絶滅の第二波が起こった。この絶滅の波は、今日の産業活動が引き起こしている絶滅の第三波を理解する上で、貴重な視点を与えてくれる。私たちの祖先は自然と調和して暮らしていたと主張する環境保護運動家を信じてはならない。産業革命のはるか以前に、ホモ・サピエンスはあらゆる生物のうちで、最も多くの動植物種を絶滅に追い込んだ記録を保持していた。私たちは、生物史上最も危険な種であるという、芳しからぬ評判を持っているのだ。
 もっと多くの人が、絶滅の第一波と第二波について知っていたら、白分たちが起こしている第三波についてこれほど無関心ではいないかもしれない。私たちがすでにどれほど多くの種を根絶してしまったかを知っていたら、今なお生き延びている種を守ろうという動機が強まるかもしれない。これは大型の海洋動物については、とくに重要だ。陸上の大型動物と違って、海の大型動物は、認知革命と農業革命の害はあまり受けずに済んだ。だが、産業公害と、人間による海洋資源の濫用のせいで、今やその多くが絶滅寸前になっている。もしこのままいけば、クジラやサメ、マグロ、イルカは、ディプロトドンやオオナマケモノ、マンモスと同じ運命をたどって姿を消す可能性が高い。世界の大型生物のうち、人類の殺到という大洪水を唯一生き延びるのは人類そのものと、ノアの方舟を漕ぐ奴隷の役割を果たす家畜だけということになるだろう。(p100-101)



 人々はなぜ、このような致命的な計算違いをしてしまったのか? それは、人々が歴史を通じて計算違いをしてきたのと同じ理由からだ。人々は、自らの決定がもたらす結果の全貌を捉え切れないのだ。種を地面にばらまく代わりに、畑を掘り返すといった、少しばかり追加の仕事をすることに決めるたびに、人々は、「たしかに仕事はきつくなるだろう。だが、たっぷり収穫があるはずだ! 不作の年のことを、もう心配しなくて済む。子供たちが腹を空かせたまま眠りに就くようなことは、金輪際なくなる」と考えた。それは道理に適っていた。前より一生懸命働けば、前より良い暮らしができる。それが彼らの胸算用だった。
 そのもくろみの前半は順調にいった。人々は実際、以前より一生懸命慟いた。だが、彼らは子供の数が増えることを予想していなかった。子供が増えれば、余剰の小麦はより多くの子供が分け合わなければならなくなる。また、初期の農耕民は、子供に前より多くお粥を食べさせ、母乳を減らせば、彼らの免疫系が弱まることも、永続的な定住地が感染症の温床と化すだろうことも理解していなかった。単一の食糧源への依存を強めれば、じつは旱魃の害にますます自分をさらすことになるのを予見できなかった。また、豊作の年に穀倉が膨れ上がれば、盗賊や敵がそれに誘われて襲ってきかねないので、城壁の建設と見張り番を始めざるをえなくなることも、農耕民たちは見越せなかった。
 それでは、もくろみが裏目に出たとき、人類はなぜ農耕から手を引かなかったのか? 一つには、小さな変化が積み重なって社会を変えるまでには何世代もかかり、社会が変わったころには、かつて違う暮らしをしていたことを思い出せる人が誰もいなかったからだ。そして、人口が増加したために、もう引き返せなかったという事情もある。農耕の導入で村落の人口が100人から110人へと増えたなら、他の人々が古き良き時代に戻れるようにと、進んで飢え死にする人が10人も出るはずがなかった。後戻りは不可能で、罠の入口は、パタンと閉じてしまったのだ。
 より楽な暮らしを求めたら、大きな苦難を呼び込んでしまった。しかも、それはこのとき限りのことではない。苦難は今日も起こる。どれだけ多くの若い大学卒業生が、がむしゃらに慟いてお金を稼ぎ、三五歳になったら退職して本当にやりたいことをやるのだと誓い、忙しい会社できつい仕事に就くことだろう。ところが、三五歳になったころには、多額のローンを抱え、子供たちを学校にやらねばならず、郊外の暮らしには一世帯に少なくとも二台の自動車が必要で、本当に良いワインと国外での高価なバカンス抜きでは人生は送り甲斐がないという感覚につきまとわれている。彼らはいったいどうしたらいいのか? 植物の根を掘り返す生活に戻るのか? とんでもない。彼らはなおさら一生懸命取り組み、あくせく働くのだ。 歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。人々は、ある贅沢品にいったん慣れてしまうと、それを当たり前と思うようになる。そのうち、それに頼り始める。そしてついには、それなしでは生きられなくなる。私たちの時代から、別の馴染み深い例を引こう。私たちは過去数十年間に、洗濯機、電気掃除機、食器洗い機、電話、携帯電話、コンピューター、電子メールなど、時間を節約して生活にゆとりをもたらしてくれるはずの、無数の機械や手段を発明した。以前は、手紙を書き、封筒に宛先を書いて切手を貼り、ポストまで持っていくのはけっこうな手間だった。そして、返事がくるまで何日も、何週間も、ことによると何か月もかかることがあった。それが今では、電子メールを地球の裏側までさっと送り、(相手がオンラインならば) 一分後には返事が受け取れる。私は以前の手間と暇をすべて省けたわけだが、前よりもゆとりある生活を送っているだろうか?
 残念ながら、違う。普通の郵便だけだった時代には、人々は何か大切な用事があるときにだけ手紙を書いた。頭に浮かんだことをそのまま書くのではなく、自分の言いたいことをどのような言葉で言い表すかを慎重に考えた。そして、相手からも同様に、よく考えた返事が戻ってくるものと思っていた。ほとんどの人は、月に数通しか手紙を書いたり受け取ったりしなかったし、ただちに返事をしなければならないと感じることは稀だった。ところが今日では、私は毎日何十通も電子メールを受け取り、相手はみな、迅速な返答を期待している。私たちは時間が節約できると思っていたのに、逆に人生の踏み車を以前の10倍の速さで踏み続ける羽目になり、日々を前より落ち着かず、いらいらした思いで過ごしている。
 技術革新に抵抗する大もちらほら見られ、電子メールアカウントを開設するのを拒んでいるが、それと同じで、何千年も前に人類の集団のうちには農耕を始めるのを拒み、贅沢の罠にはまるのを免れたものもあった。だが農業革命は、特定地域の全集団の参加を必要とはしなかった。一つでも参加する集団があれば事足りた。中東であろうと、中央アメリカであろうと、ある集団が定住して土地を耕し始めれば、農業の魅力には抗いようがなかった。農耕を行なうと急速な人口増加の条件が整うので、農耕民はたいてい、狩猟採集民を純粋に数の力で圧倒できた。狩猟採集民は逃げ去り、縄張りが畑や牧草地に変わるのを許すか、あるいは自らも鋤を手に取るかのどちらかだった。いずれにしても、昔ながらの生活は消える運命にあった。
 贅沢の罠の物語には、重要な教訓がある。より楽な生活を求める人類の探求は、途方もない変化の力を解き放ち、その力が、誰も想像したり望んだりしていなかった形で世界を変えた。農業革命を企てた人もいなければ、穀類の栽培に人類が依存することを求めた人もいなかった。数人の腹を満たし、少しばかりの安心を得ることを主眼とする些細な一連の決定が累積効果を発揮し、古代の狩猟採集民は焼けつくような日差しの下で桶に水を入れて運んで日々を過ごす羽目になったのだ。(p115-118)



想像上の秩序から逃れる方法はない。監獄の壁をぶち壊して自由に向かって脱出したとき、実は私たちはより大きな監獄の、より広大な運動場に走り込んでいるわけだ。(p153)



 だが農業革命の後、著しく複雑な社会が出現し始めると、従来とはまったく異なる種類の情報が不可欠になった。数だ。狩猟採集民は、大量の数理的データを扱う必要に迫られることはついぞなかった。たとえば、森のそれぞれの果樹になっている実の数を覚えておく必要はなかった。だから人類の脳は数を保存して処理するようには適応しなかった。ところが、大規模な王国を維持するためには、数理的データは不可欠だった。法律を制定し守護神についての物語を語るだけではけっして十分ではなかった。税を徴収する必要もある。何十万もの人から税を徴収するには、さまざまなデータを集めることが絶対必要だった。人々の所得や財産についてのデータ、なされた支払いについてのデータ、滞納金や負債、罰金についてのデータ、割引や控除についてのデータなどだ。これらが積み重なると厖大な量になり、それを保存して処理しなければならなかった。それを行なう能力がなければ、国家はどれだけの資源を持っており、将来どれだけの資源を利用できるか、知りようがなかった。これらの数をすべて記憶し、思い出し、処理する必要に迫られたとき、ほとんどの人間の脳は情報の過剰摂取に陥るか、あるいは眠りに落ちる。
 この精神的限界のせいで、人類の集団の規模と複雑さは深刻な制約を受けた。特定の社会の人口と資産の量がある決定的な限界を超えると、大量の数理的データを保存し処理することが必要となった。人間の脳にはそれができないので、体制が崩壊した。農業革命以降、人類の社会的ネットワークは何千年間も、比較的小さく単純なままだった。(p157)



 社会的な差異の形成には、もちろん生まれつきの能力の違いも関係している。だが、能力や気質の多様性はたいてい、想像上のヒエラルキーの影響を受ける。その影響には二通りの重要な形がある。何と言ってもまず、たいていの能力は、育み、伸ばしてやらなければならない。人がある才能を持って生まれても、その才能は育て、研ぎ澄まし、訓練してやらなければ発揮されない。すべての人が、自分の能力を養い、磨くための機会を同じだけ得られるわけではない。そうした機会があるかどうかは普通、社会の想像上のヒエラルキーのどの位置にいるかで決まる。ハリー・ポッターはその良い例だ。著名な魔法使いの家族から引き離され、無知な一般人に育てられたハリーは、魔法の経験が皆無のまま、ホグワーツ魔法魔術学校に入学する。彼が自分の独特の能力を知り尽くして発揮できるようになるまでには、本が七巻必要だった。
 第二に、違う階級に属する人々がたとえ完全に同じ能力を開発したとしても、異なるルールで勝負しなければならなくなるから、同等の成功を収める可能性は低い。イギリスの支配下にあったインドで、不可触民の男性と、バラモンの男性と、カトリック教徒のアイルランド人男性と、プロテスタントのイングランド人男性が、仮に完全に同じビジネス感覚をなんとか発達させたとしても、金持ちになる同等の機会は得られなかっただろう。経済のゲームは、法律的な制約と非公式のガラスの天井(目に見えない障壁)によって、不正に仕組まれていたからだ。(p175)



 生物学的に決まっているものと、生物学的な神話を使って人々がたんに正当化しようとしているだけのものとを、私たちはどうすれば区別できるだろうか? 「生物学的作用は可能にし、文化は禁じる」というのが、有用な経験則だ。生物学的作用は非常に広範な可能性のスペクトルを喜んで許容する。人々に一部の可能性を実現させることを強い、別の可能性を禁じるのは文化だ。生物学的作用は女性が子供を産むことを可能にする。一部の文化は、女性がこの可能性を実現することを強いる。生物学的作用は男性どうしがセックスを楽しむことを可能にする。一部の文化は男性がこの可能性を実現することを禁じる。
 文化は、不自然なことだけを禁じると主張する傾向にある。だが生物学の視点に立つと、不自然なものなどない。可能なことは何であれ、そもそも自然でもあるのだ。自然の法則に反する、真に不自然な行動などというものは存在しえないから、禁じる必要はない。男性が光合成をすることや、女性が光速より速く走ること、マイナスの電荷を帯びた電子が互いに引きつけ合うことを、わざわざ禁じようとした文化など、これまで一つとしてなかった。
 実際には、「自然な」と「不自然な」という私たちの概念は、生物学からではなくキリスト教神学に由来する。「自然な」という言葉の神学的意味は、「自然を創造した神の意図に一致した」ということだ。キリスト教の神学者は、手足や器官のそれぞれが特定の目的を果たすことを意図して、神が人間の身体を造ったと主張する。もし私たちが、手足や器官を神が思い描いていた目的のために使えば、それは自然な活動だ。神の意図とは違う形で使えば、それは不自然だ。だが、進化には目的はない。器官は目的を持って進化してきたわけではなく、その使われ方は絶え間なく変化している。人体の器官のうちで、その原型が何億年も前に初めて現れたときに果たしていた役割だけを今も果たしているものは、一つとしてない。器官は進化して特定の機能を果たすようになるが、いったん誕生すると、他の使用法にも適応させうる。たとえば口は、最初期の多細胞生物が栄養分を体内に取り込む方法が必要だったので出現した。私たちは今もなおその目的で口を使うが、それ以外にも、キスしたり、話したり、もし私たちがランボーなら手榴弾から安全ピンを引き抜いたりするのにも使う。線虫のような私たちの祖先が六億年前に口をそうした目的で使わなかったからというだけで、そのような使い方はみな不自然なのだろうか?
 同様に、翅(はね)は空力的卓越性をそっくり備えて突然出現したりはしなかった。翅は、別の目的を果たす器官から発達した。ある説によれば、昆虫の翅は飛べない虫の体の突出部から何百万年も前に進化したという。突出部がある虫は、ない虫よりも体の表面積が大きいので、その分だけ多くの日光を吸収し、暖かくしていられた。ゆっくりとした進化の過程で、これらの太陽光ヒーターは大きくなっていった。太陽光を最大限に吸収するのに適した(表面積が大きく、非常に軽い)この構造は、偶然にも、跳んだり跳ねたりするときに少しばかり手助けをしてくれた。大きな突出部がある昆虫のほうが、遠くまで跳んだり跳ねたりできた。やがて、その突出部を使って滑空するものが出てきた。そして、そこから間もなく、現に空中を進むことを可能にする翅が誕生した。この次に蚊が耳元でゾーンと音を立てたら、不自然な行動を責めるといい。もしその蚊が行儀良く振る舞い、神に与えられたもので満足していたら、翅はソーラーパネルとしてしか使わないだろう。
 同様のマルチタスキングが私たちの生殖器や性行動にも当てはまる。性行動はもともと、生殖や、配偶者候補の適正を判断するための求愛儀式として進化した。だが、今では多くの動物が生殖器も性行動も、自分の小さな複製を生み出すこととはほとんど無関係の、さまざまな社会的目的で使っている。たとえばボノボは、政治的同盟を強固にしたり、親密な関係を打ち立てたり、緊張を和らげたりするために性行動をする。それは不自然なのだろうか?(p186-188)



 農業革命以降、人間社会はしだいに大きく複雑になり、社会秩序を維持している想像上の構造体も精巧になっていった。神話と虚構のおかげで、人々はほとんど誕生の瞬間から、特定の方法で考え、特定の標準に従って行動し、特定のものを望み、特定の規則を守ることを習慣づけられた。こうして彼らは人工的な本能を生み出し、そのおかげで厖大な数の見ず知らずの人どうしが効果的に協力できるようになった。この人工的な本能のネットワー・クのことを「文化」という。
 二〇世紀前半には、学者たちは次のように教えた。どの文化もそれを永遠に特徴づける不変の本質を持っており、完全で、調和している。人間の集団にはそれぞれ独自の世界観と、社会的、法律的、政治的取り決めの制度があり、惑星が恒星の周りを回るように、集団を円滑に動かしている。この見方によれば、文化は放っておかれれば変化しないという。ひたすら同じ速度で同じ方向に進み続け、外から力が働いたときにだけ、文化は変化しうるのだった。たとえば人類学者や歴史学者、政治家は「サモア文化」あるいは「タスマニア文化」に言及し、サモア人やタスマニア人が大昔から同じ信念や規範、価値観を特徴としてきたかのように語った。
 だが今日では、文化を研究している学者の大半が、その逆が真実であると結論している。どの文化にも典型的な信念や規範、価値観があるが、それらはたえず変化している。文化は環境の変化に対応して変わったり、近隣の文化との交流を通して変わったりする。さらに、自らの内的ダイナミクスのせいで変遷を経験することもある。生態学的に安定した環境に、完全に孤立して存在している文化でさえ、変化は免れない。矛盾とは無縁の物理学の法則とは違って、人間の手になる秩序はどれも、内部の矛盾に満ちあふれている。文化はたえず、そうした矛盾の折り合いをつけようとしており、この過程が変化に弾みをつける。(p202-203)



 私たちは相変わらず「純正」の文化ということをしきりに口にするが、独自に発展し、外部の影響を免れた古代の地元の伝統から成るものを指して「純正」というのなら、地上には純正な文化は一つとして残っていない。過去数世紀の間に、すべての文化はグローバルな影響の洪水で、ほとんど原形をとどめないほどまで変化してしまったからだ。(p210)



 今日、帝国主義の遺産だからという理由で、民主主義や英語、鉄道網、法制度、クリケット、紅茶を廃止する投票を求めるインド人が何人いるだろうか? そして、仮に投票をしたとしたら、この問題に決着をつける投票を求めるという、まさにその行為が、かつての支配者たちに負うものがある証になりはしないだろうか?
 以前の「純正」な文化を再建し、保護することを願って、残酷な帝国の遺産を完全に拒否することにしたとしても、それによって守っているのは、さらに古くて同じぐらい残酷な帝国の遺産以外の何物でもない可能性が非常に高い。イギリスによる支配でインド文化が台無しにされたと憤慨する人は、ムガル帝国の遺産と征服者であるデリーのスルタンの権力を、図らずも神聖視することになる。そして、誰であれイスラムの諸帝国の異邦人による影響から「純正なインド文化」を助け出そうとする者は、グプタ帝国やクシヤーン帝国、マウリヤ帝国の遺産を神聖視することになる。もし極端なインドの国民主義者が、ムンバイの主要な駅など、イギリス人征服者が残した建物をすべて破壊するのだとしたら、タージマハルのような、イスラム教徒の征服者が残した建物はどうするのか?
 文化の継承にまつわるこの厄介な問題をどのように解決すればいいのかは、誰にもはっきりとはわからない。どの道を選ぶにしても、問題の複雑さを理解し、過去を単純に善人と悪人に分けたところでどうにもならないのを認めるのが、第一歩だろう。もちろん、私たちはたいてい悪人に倣うと認める気があれば、話は別だが。(p254)
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