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「話せばわかる」信仰、手放してもいいんじゃない?



「話せばわかる」信仰で悩んでいる人。
「話してもわかりあえない」信仰に宗旨替えしません?楽ですよ?

そんな話をすると
「じゃあ、なんですか。対話に意味はないっていうんですか!」
って逆ギレされることあるんですけど(その時点で自家撞着)。

「話してもわかり合えない」信仰に対話は無用?嘲笑の対象?
いやいや、「話してもわかりあえない」からこそ、対話が重要。

対話の場でコミュニケーションのカードをお互いにきって、合意点や相違点を確認。
その内容をもとに、相手と付き合うかを判断。
だいたいの答えはNO。もしくは妥協。
でも、いろんな相手と対話を重ねていくと、たまにめちゃ相性のいいカードを出す人と遭遇します。
「話してもわかり合えないこの世の中で、考えが近い人に出会った!わお、プライスレス!」と幸せな気持ちになります。


話せばわかる、は減点方式

「話せばわかる」は常に相手に理想像を投影するので、話してもわからないと、「わたしはこんなに話しているのに、わかりあえないのはおかしい!あなた、おかしい!」と超理論にルーラします。
他者との関係性は減点方式。
常に「わかってくれない」が付きまとうので、精神的に辛い。

「話してもわからない」は相手に理想なんてこれっぽっちも投影しないので、話が通じなくても「まー、そんなもんだよねー」と精神的ダメージがない。
他者との関係性は加点方式。
ゼロからのスタートなので、わかってくれた時の感動が大きい。
「わかりあえないのがテンプレなのに、わかっちゃった?うそ!やだー」ってテンションが上がります。

「わかる」行為は、次のスリーステップが必要です。

 ‖召里海箸肪躇佞鮓けられるだけの精神的余裕
 対話者にたいする興味
 自分とは異なる考えを「わかろう」とする意志

いつも精神的余裕がある人などいません。余裕のない時がほとんど。興味を抱く前の段階。
仮に余裕ができて、相手に興味をもてたとしても、その相手の考えをわかろうとするかは、わかりません。「なになに?共感してって?ごめん!今時間ないんだ!また今度ね!」となることもあります。
なので、「話せばわかりあえた」かもしれない相手でも、タイミングが悪ければ、「わかりあえる」ことができません。


人間であるかぎり、「わかりあえない」

人間が肉体という制約をもつかぎり、物理的に隔絶した他者と同じ感覚を認知することは不可能です。
タチコマのように「その感覚、同期させてよー」とネットを介して感覚を並列化しても、各個体にたいして、完全に同じ認知を発生させることはできません。認知主体が別々で、独立してますから。
「話せばわかる」を究極的に突き詰めるなら、もう人類補完計画しかないでしょう。肉体の制約を取っ払って、認知主体を合一させる。梵我一如。でも、そうなったら「話せば」の相手がいなくなるので、「わかりあう」という行為そのものも消滅することになるわけですが。

いろんなスタンスがあるので、「話せばわかる」を信じる人がいてもいいと思う。
けど、「話せばわかる」信仰の人って大なり小なり「わかりあえない」ことにフラストレーションを感じていて、時に目的と正反対の敵意をまき散らすことがあります。
いや、それ、そもそも構造的に、というか人間が人間であるかぎり、「わかりあえる」って現象は発生しないから!それ、ファンタジーだから!(とツッコミを入れたくなるけど。もちろん、口にはしませぬー)。



なので、ぼくは「話せばわかるよねー」と言う人と遭遇すると、「ああ、この人はNERVの職員なのでせうか・・」と思うようにしています。ぼくは認知主体がバラバラだからこそ生まれる「わかる」という行為に快感を覚えているので、人類補完計画には反対です。「わかりあえない」世界を受け入れて、人間のままでいたいです。
以上、お粗末でした。
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