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解夏
評価:
さだ まさし
幻冬舎
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(2002-11)
コメント:泣ける一作。心温まる一冊。「生きていることの哀しさ、そして素晴らしさ」を感じたい時に手に取りましょう。

初めて読んだのは23才だったか。それ以来、心が寒くなったと感じるたびに手に取って、「生きる」ことの温かみを分けてもらっている。そんな一冊。

「解夏」「秋桜(あきざくら)」「水底の村」「サクラサク」の4つの短編集からなる。
ぼくはずっとフィリピン女性が田舎に嫁入りして、彼女を必死に守ろうとする義父母を書いた「秋桜」が好きだったのだけど、今読んでみると好みが変わった。
幼馴染の邂逅と人生のすったもんだを含ませた「水底の村」や、社長への道が拓けた会社人生を棄てて痴呆で意識がなくなっていく父と壊れて冷えきった家族関係の修復を模索する旅を描いた「サクラサク」のほうが心に響いた。
それは水底の村の主人公がじぶんと同じ30代で、サクラサクは両親の介護がそろそろ射程に入ってきたことからきているのかもしれない。

なお、解夏については映画かもされてます。予告編はコチラ↓



「それにね、私はね高野さん。眼が見えなくなるってのはね、真っ暗闇になるもんだと思ってた」
 と、黒田はまた意外なことを言った。
「かつて見えていたから言うんだが・・・・・・つまりね、失明するってことはねえ、明るいところから闇に突き落とされると思っていたんだ、だがねえ、決してそういうわけじやあないんですよ。ちょうどねえ、そう・・・・・・乳白色の霧の中にいる、と思えばよい」
「え? 乳白色・・・・・・なのですか?」
「そうなんだ。あのね高野さん、光が見えるから暗闇が見えるんだ。暗闇というものはねえ、光が見えない者には存在しないものなんですよ」
 隆之は目を見張って黒田を見た。
「光が見えない者には暗闇は見えない・・・・・・」
「そう私は失明して初めて知ったね。今までは自分は暗闇、という光を見ていたんだ、とね」

 重い、重い言葉だった。(32-33p)



 俊介は父が眠るまで起きていようと、息子のリュックの中から父の大学ノートを引っ張り出して例の『記憶の糸』を読みはじめた。
 父がはっきりと「老人性痴呆症」という文字をノートに記したのは、大磯事件のひと月後の日付で、こうある。
『昔から狐憑きといひ、また狸に化かされたといふは、さてはこのことならんや。
 まさに己の記憶の虚ろさに辟易し始めるゆふぐれ、その病魔密かに、忍び寄るらし。
 緩やかにして、人としての格を水の浸みるやうに淡やかに失ふ。これ老人性痴呆症なり。思ふに、今我、まさにそれなるらし』
 震える指でページをめくれば、次のページには墨痕鮮やかにこんな一文が記してあった。

 これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる
 さいの河原(かわら)の物語 聞くにつけてもあはれなり

 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが
 父恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は
 この世の声とはこと変わり 悲しさ骨身を通すなり

 かのみどりごの所作として 河原の石をとり集め
 これにて回向(えこう)の塔を組む

 一重組んでは父のため 二重組んでは母のため
 三重組んではふるさとの 兄弟我身と回向して
 昼は独りで遊べども 日も入(い)り相(あ)いのその頃は
 地獄の鬼が現れて やれ汝(なんじ)らは何をする
 娑婆(しゃば)に残りし父母は 追善供養の勤めなく

 (ただ明け暮れの嘆きには)
 (酷や可哀や不惘(ふびん)やと)
 親の嘆きは汝らの 苦患(くげん)を受くる種となる

 我を恨むる事ながれと くろがねの棒をのべ
 積みたる塔を押し崩す

 その時能化(のうげ)の地蔵尊
 ゆるぎ出(いで)てさせたまいつつ

 汝ら命短かくて 冥土の旅に来るなり
 娑婆と冥土はほど遠し 我を冥土の父母と
 思うて明け暮れ頼めよと 幼き者を御衣(みごころも)の
 もすその内にかき入れて 哀れみたまうぞ有難き

 いまだ歩まぬみどりごを 錫杖(しゃくじょう)の柄に取り付かせ
 忍辱(にんにく)慈悲の御肌(みはだ)へに いだきかかえなでさすり
 哀れみたまうぞ有難き

 地蔵和讃(わさん)だ。
 なんと哀しい唄(うた)だろう。迷う子供の御霊(ごりょう)を鎮めるこの唄を、なぜ父はここに記したのだろう。
 俊介は、ふと首を傾げた。
 おそらく父は己の記憶回路に不信感を持ち、子供の頃憶えたこの地蔵和讃を自分の記憶力の証(あかし)に書いてみたのに違いない。きっとただそれだけのことで、ほかに深い理由はないのだろうと思う。
 だが、と、こういうものを改めて見つめるうちに淡い疑念が浮かぶ。
 俺は一人っ子ではなかったのだろうか? 俺の生まれる前かあとに、実は生まれなかった兄弟が、あるいは姉妹があったのだろうか。あるいはもしかして父には家の外に子があったのだろうか。
 ま、あればあったで良し、だ。俊介は笑った。
 もしも仮にその上うな、いわゆる異母兄弟があったとしたら、またその兄弟がたとえば、世にいう日陰のように不遇な身の上で育ったなら、今、俺は嫡男としてその哀しさを償う義務があるだろう。
 一人っ子だと思って生きた自分に万が一兄弟があれぼきっと会いたい。
 この歳になれば、どのような事実でも受け入れられるけれども、是非父の口からこの地蔵和讃の真実を聞いてみたい、と思った。
 そうだ。
 やっと俊介は自分が、自分の心の中のどういう叫びに従って旅に出たのかを思い出した。
 白い家を探そう。
 父がほんのわずかの間、両親と仲睦(なかむつ)まじくささやかに暮らしたという、敦賀のその白い家を尋ねてみよう。
「僕は五つの時に父親が死んで、母一人子一人で育つたからね、両親と揃って一つ家で暮らしたという記憶はね、その白い家だけなんだ」
「敦賀のね、あの家での暮らしはね、貧乏のどん底だったんだ。引き揚げで何もかも失くしたからね。だが、不幸せではなかった」
 そうか。
 父の言葉を思い出したとき、やっと、この地蔵和讃に合点がいった。
 父は自分の父親や母親への恋慕に耐えられずこれを書いたのだ。
 父も一人っ子で、五歳の時に父親を失っている。まさに、迷える子供の姿そのものだったろう。
 父が心の確かな頃に敦賀の家の話を幾度もしたのは、その頃すでに父の中にその予兆ともいえる「記憶の喪失」という恐怖の重低音が遠くで響いていたからではないか。
「親父」
 呼びかけてみる。
「敦賀へ行こう・・・・・・。連れていってやるからな」
 父は静かな寝息を立てている。俺は親不孝だ。
「おやすみ」
 父にそう言って明かりを消した。涙が出て困った。(373-377p)
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