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第三の波
評価:
アルビン・トフラー
日本放送出版協会
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(1980-10)

大学生がはじめに読むべき本。社会人は必ず読んでいるべき本。
1980年代の各国の指導者、たとえばインドネシアのスハルト大統領や中国の胡耀邦総書記もこの「第三の波」を熟読し、政策に反映していったと別の本で読んだことがある。

読んでいるといないとでは、新聞やテレビにでていることやふだん感じる何気ない疑問にたいする自分のリアクションがかわってくる。
この本が書かれたのは1980年だということを頭の片隅において、ぜひご一読ください。

赤の女王 性とヒトの進化」を超える引用量(下記参照)。つまり今のところぼくの人生に最もおおきな影響を与えたなかの一冊、という扱いになりますな。
 
 
『第三の波』は、人類の歴史が終焉を迎えようとしているどころか、まだはじまったばかりだと考える人びとのための書である。(8p)




完全な知識など存在しないし、

全面的に真理をあらわす比喩もありえない

という認識は、それ自体、まことに人間的である。こうした認識さえあれば、狂信におちいる心配はない。反対論者にも一面の真理はあるものだし、自分自身にも誤りがありうる。規模の雄大な統合的見解を展開しようとすると、とくに誤りをおかす危険性がついてまわる。しかし、評論家ジョージ・スタイナーが書いているように、「より大きな問いを発することは物事を取りちがいかねない危険性があるが、まったく問いを発しないことは、知的生活を無理矢理、抑制するようなものである。」
 個人の生活がばらばらに引き裂かれ、これまで確固としていた社会秩序が崩壊する一方で、奇妙に新しい生活様式が澎湃(ほうはい)として起こっているこの爆発的変化の時代に、われわれの未来に関する最大の問いを発することは、単に知的好奇心の問題ではない。これは、人類が生き残れるかどうかの問題なのである。(16p)




 工場をモデルにして設立された大衆教育の場では、初歩的な読み書き、算術を主体にして、歴史やその他の課目もごく簡単に教えられた。これはしかし、表向きのカリキュラムだった。実はその背後に、目に見えない、かくれたカリキュラムが存在し、この方が、はるかに産業社会の基盤として、重要だったのである。このカリキュラムは三つの徳目から成り立っていた。というより、大方の産業主義国家において、現在もこの三つの徳目が存在している。それは、まず第一に時間厳守ということである。そして、第二が服従、第三が機械的な反復作業に慣れる、ということである。工場労働者にまず要求されるのは、定められた時刻に出勤することであり、とくに流れ作業の要員の場合がそうである。そして上司である管理者の命令に、文句も言わずに従う労働者であること。また、男も女も機械あるいは事務机に向かって、まったく機械的な反復作業を飽きもせずに、こつこつやっていける忍耐力の養成が必要とされたのである。
(中略)核家族と工場労働者向けの教育は、若い人びとが産業社会で有能な役割を果たすための、総合的な準備体制の一環として機能した。(48p)




 産業文化のなかで育ったこどもが、早い時期から時計の読み方を教えられるのは、けっして偶然ではない。学校の生徒が始業ベルに間に合うように登校する習慣を身につけさせられるのは、始業のサイレンの鳴る時刻までに、確実に工場や事務所に出勤させるためである。仕事は時間で計られ、秒単位で細かく計測されるようになった。朝九時から午後五時までの勤務が、大多数の労働者の、勤務時間の原則になった。
 同時化が進んだのは、労働だけではなかった。第二の波の社会では、採算や政治的配慮を無視してまで、社会生活をすべて、時計で律し、機械の要求にあわせる必要が出てきた。余暇の時間まで、あらかじめ決められていた。労働のスケジュールのなかに、標準的な休暇や休日、休憩時間の長さが設定されるようになった。
 児童は一定の年齢でいっせいに修学し、卒業していく。病院も患者をいっせいに起床させて朝食をとらせる。こうしてラッシュアワーが発生し、交通体系が危うくなる。放送局は限られた時間帯に娯楽番組を編成し、ゴールデンアワーが生まれる。原料提供者や販売担当者の都合によって、あらゆる仕事に、その仕事特有のピーク時間やかきいれ時ができるようになった。さらに同時化の専門家まであらわれた。工場の作業促進係、綿表作成者から交通巡査、はては標準作業時間の研究家まで、さまざまな人たちがそれである。
 反対に、新しい産業社会の時間大系に反逆する人びとも出てきた。そして、ここでも男女差が問題となった。第二の波のもとで労働に従事した人びとの大部分は男性で、かれらがいちばん従順に時計の動きにしたがった。
 第二の波の社会では、世の夫たちはつねにこんな不満をもらしている。妻は平気でひとを待たせ、時間の感覚がない。いつまでも着替えに気を取られ、約束の時間にいつもおくれる、と言うのだ。大方の女性は、家事という相互依存を必要としない仕事をしているため、男性ほど機械的なリズムに支配されずに働いてきた。同じような理由で、都会人は田舎の人がのろまで、あてにならないと見くだす傾向があった。「奴らはいつも約束の時間にきやしない。どだい、約束を守る気があるのかどうかもわからんのだ」と言うわけである。こうした不満が出てくるのも、もとをただせば、高度に相互依存の必要な第二の波の労働と、畑や家で行われる第一の波の労働との差に帰着する。
 ひとたび第二の波が支配的になると、本来、もっとも個人の好みに合わせて行われるはずの、日常的なこまごまとしたことまでが、一定の歩調を持った産業社会のシステムに、しっかりと組み込まれてしまった。(中略)これは、文化全体が規格化、分業化という二つの原則に加えて、同時化という第三の原則を採用したためである。(80−81p)




極大化(マクシマイゼイション)
 
 生産と消費の間に亀裂が生じたことによって、第二の波の社会には、総じて「大きいことはよいことだ」という「極大化偏執狂(マクロフイリア)」とも言うべき症状があらわれた。それは大きなことの好きなテキサス人のように、いたずらに大きさと成長とを追い求める傾向である。工場の作業時間が長く、したがって生産量が大きくなれば、単位原価は低廉になる。この考え方が正しいとすれば、同様の論法で、規模を大きくすることによって節約が図れる、という考え方が生まれてくるのも無理からぬところである。こうして、「大きい」という言葉が、「効率的」という言葉と同義語となり、「極大化」は、第二の波の社会を解く第五の鍵になったのだ。
(中略)こうした大きさに対する単純な信仰は、「効率」というものを第二の波の狭い視野で考えていたためだと言ってよい。ところが、産業主義の極大化偏執狂は工場にとどまらなかった。たとえば、いわゆる国民総生産=GNPを統計指標とする考え方にも、そうした傾向があらわれている。GNPとは、一国の経済のなかで生産された商品やサービスの価格を総計したもので、そこにはさまざまに異なった性質のデータが入っている。第二の波の社会の経済学者が使用したこの指標には、さまざまな欠点があった。たとえばGNPという観点から見るかぎり、経済活動の結果産み出されたものが食料品であろうと、教育や健康に関するサービスであろうと、あるいは軍需品であろうと、そんなことはまったく問題にならない。家の新築に職人を雇っても、反対に家の取り壊しに職人を雇っても、その両方がGNPに加算される。一方の行為は住宅のストックに寄与し、他方はストックを減殺するのだが、それすら問題にされない。また、GNPは市場活動、商品取引だけを計測の対象にしているため、たとえば、子育て、家事といった給与の対象になっていない生産を基盤とした、生命の維持に欠くことのできない部門をすべて軽視する結果になる。(84−87p)




 議員代表制による政府、これをわれわれは民主主義と呼んできたわけだが、それは要するに、不平等を維持するために開発された、産業社会のテクノロジーであったとさえ言うことができる。議員代表制にもとづく政府は、代表制の犠牲にすぎないのである。
 これまでのところをざっとふりかえってまとめてみると、われわれが目にしている現代文明の主要な支えになっているのは、石炭や石油などの化石燃料、工場生産、核家族、企業、大衆教育、マスコミといったものである。その根底には、ますますひろがる生産と消費の分断があり、すべては、一握りの統轄エリートによって管理されている。
 こうした体制にあっては、議員代表制による政府は、政治の世界における工場だと言ってよい。この工場が生産してきたのは、集団がくだす総合判断であった。政府も工場と同じように、上下の関係で管理されている。議員代表制による政府も工場と同じように、日に日に時代遅れのものになろうとしている。第三の波が高まるにつれて、その波にのまれようとしているのだ。(117−118p)




 一方の側には全体主義の諸政権があり、別の側には、いわゆる自由主義の民主主義国家群があった。討議決裂の際には、ただちに武力決着をつけるべく、銃と爆弾が用意されていた。宗教改革期のカトリックとプロテスタントの大衝突以降、二つの思想陣営の間に、これほど画然と主義主張による境界線がひかれたことはなかった。
 ところが、この白熱のプロパガンダ戦争において、ほとんどの人が見のがしていた事実があった。それは、いずれの側も相手とは異なるイデオロギーをひろめようとしていたにもかかわらず、双方ともに、本質的にはまったく同じ「スーパー・イデオロギー」をふれまわっていた、ということである。両者の結論――その経済計画と政治原理(ドグマ)――はまったく異質であったが、出発点となった前提の多くは、実は同一だったのである。プロテスタントとカトリックの宣教師たちが、解釈が違うだけでもとは同じ聖書を後生大事に守りながら、いずれも同じキリストの福音を宣べ伝えているように、マルクス主義者と反マルクス主義者、資本主義者と反資本主義者、アメリカ人とソビエト人は、一様に世界の非産業地域、アフリカ、アジア、ラテン・アメリカへ進出していった。そして、その進出に当たって、かれらは同じ一群の基本的前提を携えていたのである。しかし、双方とも自分ではそのことに気がついていなかった。かれらはともに、ほかのあらゆる文明に対する、産業主義の優越性を説いた。両者はともに、産業的現実像の熱烈な使徒だったのである。(147−148p)




不幸なことに、第三の波の支持派は、

第三の勢力の代弁者と誤解されがちである。

第三の陣営とは、第一の波の支持者で、新しい高度の知識と科学にもとづく永続的なエネルギー体系を求めて前進しようとはせず、産業革命以前への回帰を主張する人びとである。その立場を極端におし進めれば、技術はほとんど排除され、人間の行動範囲は限定され、都市は縮小してやがて滅び、自然保護という名のもとに禁欲生活を強いられることになってしまう。つまり、第三の波の支持者たちはこのように誤解されがちなのだ。
 第二の波の陣営に属するロビイストや、広報担当者、政治家たちは、第三の波の勢力と第一の波の支持者とを意識的に同一視することによって世論を混乱させ、第三の波の勢力を不利な立場へ追い込んでいる。
 しかし、最後に勝利をおさめるのは、第一の波でもなければ第二の波でもない。前者は幻想を追い求め、後者は難問、というより解決方法のない問題をかかえた古いエネルギー体系にしがみついているのだ。(201p)




技術の分野の闘争と並行して、政治、経済の分野でも三つ巴の闘いが起こる。そしてこうした運動に参加している人は、三つの集団のなかでも、もっとも未来に近いところにいるのである。
 ここでもまた、一方には第二の波の勢力があり、他方には第一の波の時代逆行派があって、第三の波の陣営は、その双方と戦わなければならない。第二の波の勢力は、技術にたいする古い、愚かな考えに固執している。「役に立つなら、建設しよう。売れるなら、生産しよう。軍事力強化につながるなら、つくろう。」第二の波の支持者の多くは、進歩について時代おくれな、産業主義時代そのままの進歩の概念にこりかたまって、技術を無責任なやり方で実用化しようとして利権をあさっている。かれらは危険性について、まったく無関心なのである。
 一方、少人数だが口うるさい超ロマンチストの一団がいる。この集団は原始的な第一の波のテクノロジー以外のすべてに敵意を持ち、中世の工芸や手工業に戻ろうとしている人びとである。多くは中産階級に属して、飢餓などとおよそ緑の無い有利な立場から発言している。第二の波の人びとが無差別に技術革新を支持したのと同じように、無差別に技術革新に抵抗している。われわれはもちろん、かれら自身でもとうてい我慢できないような世界へ戻りたいという、幻想をいだいているにすぎないのである。(219−220p)




「クレックの実験は、知能の形成に影響をおよぼす諸要因のなかで大切なのは、豊かで、敏感に反応を要求される環境に早くから身を置くことだ、ということを示唆している。刺激に乏しい、貧弱な、なんの反応も要求されない、いわゆる"条件の悪い"環境で育てられたこどもは、何事に対しても尻込みするようになってしまう。したがって、誤りをおかす気づかいはほとんどないが、同時に、用心深く、保守的で、好奇心に欠け、徹底的に受け身であり、脳に刺激を与えるようなことは全然しない」
「これに反して、複雑で刺激に富み、素早い反応を要求される環境で育ったこどもは、まったく別の能力を養っていくのである。幼い頃から、周囲の環境に働きかけてなにかをしようという子どもは、両親に頼りすぎるようなことはない。統率や競争の感覚を身につけることもできるし、好奇心、探求心、想像力に富み、常に問題解決の姿勢を持って、人生に取り組むことができる。こうした資質のすべてが、脳そのものの変化を促進する可能性を持っている。この点については、いまのところ推測の域を出るものではないが、知的情報に富んだ環境が、私たちに新しい染色体接合や、より大きな脳皮質をもたらすことも不可能ではない。要するに、恵まれた環境が優秀な人間をつくるのである。」(254−255P)




最近、家族制度の崩壊ということをよく耳にする。

「家庭」こそ、最大の課題であるとも言われている。(中略)家族というのは、特定の型の家族を意味している。家族には多様な形態があるのだが、ここで守るべき家族というのは、第二の波の家族をさしているのである。
 かれらが念頭に置いている家族とは、一家の働き手である夫、家庭を守る妻、それに少数のこどもたちという型の家族である。世界にはさまざまな家族形態が存在しているが、第二の波の文明が理想としたのは核家族という形態であった。核家族は支配的な傾向となり、世界中にひろがった。
 核家族は標準的な家族形態として、広く社会に受け入れられた。大量生産の社会は、階級制度と官僚制度が支配し、職住分離を基本とした社会である。核家族はこうした社会で広く受け入れられた価値観とライフスタイルの要請に、ぴったりとした家族形態として定着したのである。
 今日、世の権威者たちは家族の"復権"を叫んでいる。ここに言う家族とはふつう第二の波の家族、つまり核家族を指している。しかし、家族を核家族だけに限定してしまう狭い見方は、問題の全貌を見誤るばかりでなく、現実に核家族がかつての重要性を取り戻すことが必要だなどと考えているとしたら、幼稚きわまりないと言わざるをえない。(300−301p)




D・I・Yが普及する理由は、いろいろある。

インフレーションもそのひとつである。それに、大工や鉛管工はなかなかきてくれない。たとえきてくれても職人の腕がおちていて、いいかげんな仕事がふえてきた。余暇の時間もふえた。こうしたさまざまな原因が重なり合っている。しかし、もっとも有力な原因は、「非能率の相対性原理」とでも呼ぶべきものである。自動化によって、生産の単価がさがればさがるほど、手づくりの物の値段や、オートメーションでは処理できないサービスの値段は、相対的にあがる。(中略)
 こういうわけで、ここ数年間は、諸サービスの労賃は、まだまだ天井知らずの上昇を続けるものと考えなければならない。労賃があがればあがるほど、人びとは自分でできることは自分でやるようになる。つまり、インフレーションが起こらなくても、「非能率の相対性原理」によって、自分で消費するものは自分で生産する方が、ますます効率的になってくる。(中略)交換経済は、生産=消費経済に移行していくのである。(391−392p)




 何百万、何千万という人間が、市場に組織的に組み込まれることによって、もはや、自分の運命を自分だけではコントロールできない時代になった。同じことが、国家や文化についても言えた。市場に組み込まれることは進歩であり、自給自足はおくれた状態である、と信じられるようになった。俗悪な物質主義がひろがり、経済や経済的動機こそが人間生活を進歩発展させる原動力である、という考え方が支配的になった。人間の一生は契約の連続であり、人間は婚約をはじめ、さまざまな社会的契約によって結ばれている、という考え方が受け入れられるようになった。市場活動は、何百万、何千万の人びとの行動はもちろん、価値観にも影響を及ぼし、第二の波の文明の基調をつくりあげた。
 (中略)第三の波の文明は、歴史上はじめて、脱市場(トランス・マーケット)文明になるにちがいない。
 脱市場文明とは、流通機構のない文明を意味するものではない。小規模で、孤立した、自給自足に徹した地域共同体が、相互に交易もせず、またそれを望みもしないといった世界へ逆戻りするわけではない。文明が後退するのではない。脱市場文明は、市場に依存した文明であることに変わりはない。しかし、もはや市場を建設し、拡大し、流通機構を完成させるためにエネルギーを消耗する文明ではない。市場はすでに完成しているのだから、脱市場文明は、新しい課題に向かって進むことができるのである。
 (中略)今日の危機は、資本主義の危機とか社会主義の危機といった問題ではない。エネルギー、食料、人口、資本、原材料、失業なども、第一義的な問題ではない。いまわれわれに問われているのは、市場の役割が未来の文明のなかでどうなっていくのか、そしてわれわれの暮らしがどうなっていくかという問題である。
 そこにこそ、生産=消費者が登場してきたことの重要な意味があるのだ。(410−413p)




ところが断片的、部分的な思考、分析的な見方にたいする攻撃が、あまりにも激しくて、多くの狂信的な「全体論者」は、つかみようのない全体を追求するあまり、部分を忘れてしまっている。それはもはや全体論ではなく、また別の断片論だ。狂信的な全体論は、半分論にすぎないことになってしまう。(434p)




第一の波の戦略には、一種の家父長的干渉主義がある。

これは、生産のあらゆる要素を節約しようとする反面、労働者の時間と労働量だけは節約する必要がないという考えであり、自分はいやだが、他人が一日中田んぼで腰をかがめて働くのは結構だ、ということになる。(480p)




学者のなかには、情報の重要性が増すにつれて、大学が工場に代わって、明日の社会の中心的な組織になると言っている人がいる。しかし、こうした学者サイドから一方的に出された考え方は、大学だけが学問的知識を保有できる、あるいは保有しているという偏った見解にもとづくものであり、専門家特有の、ひとりよがりな希望的観測の域を出ていない。
 一方多国籍企業の経営者たちは、かれらの立場から、そうした企業の役員室こそ、明日の社会の中心だと考えている。「情報管理部長」などという新しい仕事に就いた人間は、自分たちのコンピュータールームが、新しい文明の中枢だと信じている。また科学者は、企業の研究機関に注目している。最近ではヒッピーの数はすっかり減ってしまったが、かれらは未来の中心として、新中世的な農業共同体の再興を夢見ている。そのほかレジャーづくめの社会の「何でも楽しめる部屋」が、未来の中心だと言う人もいる。
 私自身の考えは、これまでにおおよそ述べてきたのでおわかりと思うが、いま挙げたものは、どれも未来の中心ではありえないと考えている。私の考える未来の中心は、実は、家庭なのである。
 私は、第三の波の文明においては、家庭がきわめて新しい、重要な役割を担うものと確信している。生産=消費者(プロシューマー)の出現、エレクトロニック住宅(コテッジ)の一般化、企業における新しい組織構造の創造、生産の自動化と脱画一化の実現、これらはすべて、家庭が明日の社会の中心的存在として、ふたたび浮かび上がってくることを暗示している。家庭はその機能が失われるどころか、経済的にも、また医療、教育、社会などの面からも、活発な機能を果たすようになるであろう。(507−508p)




英雄待望論の誤り

 救世主コンプレックスと言うのは、トップの人間を代えれば、自分たちがなんとか救われるのではないか、という幻想である。
 第二の波の政治家が、第三の波の台頭によってひき起こされた諸問題に直面して、酔っぱらいのようにつまづいたり、ころげたりしているのをみると、多くの人びとは、この困難な事態をひき起こした原因は「指導者の失敗」にあるという、ひとつの単純な、わかりやすい結論にとびつく。新聞や雑誌もこれに拍車をかける。もし救世主が政治世界の地平線から姿をあらわし、物事をもと通りにしてくれたら、と考える。
 この頼もしい、男性的指導者を熱望する声は、今日では、かなり善意な人びとの間からも起こっている。これは、身近な世界がくずれ、予測できない状況に取りかこまれた結果、秩序と組織を回復し、将来を予測したいという渇望が、ますます強くなったからである。一九三〇年代、ヒットラーが登場したとき、スペインの作家オルテガ・イ・ガセットが書いたように、「無数の犬が星に向かって吠えるように、指揮をとるだれか、あるいはなにかを求める強い叫び声」が、いまわれわれの耳にも聞こえてくるのである。
(中略)かいつまんで言えば、「より強い指導性」を求める声が高まったのは、議員代表制政治の崩壊から利益を得ようとする、高度に権威主義的なグループの再燃と、まったく時を同じくしているのだ。これはガソリンとマッチがいっしょになっているようなもので、まことに危険きわまりない。
 指導性を求める声が高くなるのは、三つの誤った考えによるものである。そのひとつは、権威主義は効率がよいという神話である。独裁者は、なにはともあれ、「時間どおりに列車を走らせる」という考えが、広く信じられている。いまでは、あまりにも多くの制度が崩壊しており、予測できぬ事態が多すぎるので、数百万の人びとが、経済、政治、社会という列車を時間どおり走らせるためなら、よろこんで自由の一部を引き渡してもよい(他人の自由ならなおよい)と考えている。
(中略)強い指導性を求める声が誤りである第二の理由は、過去に通用した型の指導性が、暗黙のうちに、未来にも通用すると考えている点である。指導性について考えるとき、われわれはいつも、ルーズベルト、チャーチル、ドゴールといった、過去の指導者のイメージに左右される傾向がある。しかし、文明が変われば、指導性の質もまた、まったく変わる。ある文明のなかで強い指導性を持った者も、別の文明には役に立たず、弱体このうえないということもありうるのだ。
 第一の波の農奴制にもとづく文明では、普通、指導者は業績によってではなく、家柄によって決まった。君主に必要なのは、いくつかの限られた能力だけであった、たちえば、戦闘で部下を統率する能力とか、部下の豪族を対抗させて漁夫の利を占める抜け目なさ、有利な結婚をする才知などだったのである。さらに、憲法だの議会だの世論などのチェック機関もまったくなかったから、指導者は気まぐれで、異様とさえ言ってよいやりかたで、強大な個人の権威をふりかざすことができた。他人の承認を必要とする場合でも、せいぜい貴族、領主、僧侶といった連中の同意があればよかった。かれらの支持を取り付けるのがうまい指導者が、「強い」指導者だった。
 これと対照的に、第二の波の指導者は、非個人的な、より抽象的な力を行使することになった。決定をくださなければならない範囲も、メディアの操作から巨大経済の運営まで、ぐんと広くなった。しかも、彼のくだす決定を実行するのは、いくつもの組織や機関であり、そのためには実行機関相互の複雑な関係を理解し、調整しなければならない。読み書きはむろんのこと、抽象的な思考もできなければならない。ひとにぎりの臣下ではなく、多くのエリートやサブエリートをあやつらなければならなかった。さらに、彼の権力は、たとえ全体主義国家の独裁者であっても、すくなくとも建前としては、憲法や判例、政党の要求、大衆の世論の力などによって制限を受けざるをえなかった。
 こう比較してみると、第一の波の「最強の」指導者でも、かりに第二の波の政治構造に突然放りこまれたとしたら、「もっとも弱い」第二の波の指導者よりも弱体で、混乱し、風変わりな場違いの存在になってしまうだろう。(573−578p)





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