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乞う
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韓寒blog 11/02/11
二つの質問
前回コメント「乞う」の続き。記事全文はアップ後に更新があっていまは「乞う」の文末にまるごと挿入されている。
最近中国では、微博(中国版ツイート)上で誘拐児童の救出を試みる現象が発生していて高い関心を集めている。その方法とは携帯カメラで物乞い児童を撮影しツイッター上にアップ、その子が誘拐されたかどうかをみんなで調べまくるというものだ。詳しくはこちら、中国語だけど。。
中には誘拐から救出に至る過程をネットで公開している人もいる。湖北省在住の退役軍人の彭高峰もその一人。外出中に実子を誘拐された彼女は警察に助けを求めるがまったく相手にされず、10万元(約120万相当)の懸賞金をかけて自力で捜索を始めた。それを10万人のフォローワーをもつ香港の「鳳凰周刊」記者が支援し、やっと警察も本格始動。足掛け3年、おおくのネットユーザーの協力のもと無事実子は発見された。彼女の捜索日記はこちら。関連した日本語記事のこちらも参照「ソーシャルメディアの力 中国誘拐事件解決」
韓寒はもっと警察をうまくつかったり親とネットユーザーが連携して誘拐児童を捜したほうがいいし、誘拐されて物乞いをさせられている児童を助けるにはやっぱり法律をつくって取り締まるべきだとコメントしている。経済発展なしに貧困や社会不安はなくならないとする意見を「絵空事だ」とばっさり斬り捨てるあたりはやはり韓寒というべきか。出版問題で当局と闘ってきたからガバナンス=法治主義にたいする意識が相当高いんだなあと妙に納得しやした。





前回のコメント「乞う」に関連して、友達からなかなかいい質問を二つもらった。
一つ目の質問。携帯カメラで物乞い児童を撮影してネットにアップすることで、誘拐された児童を救おうとする現象について支持するかというもの。

社会が発展していく一つの過程

それに大事な一歩だ。誘拐された児童を探し出すのはもちろん素晴らしいけど、一部がお祭り騒ぎになっているのには感心しない。だって児童の大半は誰かと一緒で、その一緒にいる人のなかには素行の悪い奴もいるかもしれないだろ。見つかりそうになったら、道具として扱ってきた当の児童に危害を加えたり殺害したりするかもしれない。写真を撮るだけで活用はしない、そんな場合でも今度はその児童当人の尊厳にかかわってくる。大きくなって、自分が乞食だったときの写真をネット上で発見する。誰だってそんものは見たくないもんさ。
現象そのものがこんなにも大規模になっているいま、撮影された児童と本人を照会できる力と児童に害が及ばないようにする配慮が必要だ。
微博(†中国版ツイッター)にアップされた子供の写真を確認するために、失踪児童の両親がみんなツイッターアカウントをもつなんてことは考えられないから、届け出た両親が各警察署でネット上の写真を都度照会するのが一番妥当じゃないかな。これならたいした作業にならない。たとえば、提示された写真がすでに照会済でかつ児童の安否が引き続き分からないようであれば、その公開写真をネットから削除すればいい。念のため削除データは警察内部のシステムに保存しておいてさ。

失踪児童の両親が我が子の写真をネット上にアップして、その写真をもとにネットユーザーが児童を探す――このほうがもっといい。ただそうなると、いまみたいに盛り上がらないんじゃないかって心配はある。まあ熱狂ってのはいつか冷めるもの。頭が冷えたらみんな黙々と作業に徹するだろうか。それは・・・見てみないとね。


警察?当てになんないよ

だって警察の仕事は御上にしっぽをふることで、人民への奉仕は後回しじゃないか。しかも最近は政権維持工作に手一杯でほとんどの業務がお粗末。人民を守るなんて到底できないさと言われれば、確かにともおもう。
飛記者のツイートログをざっと見ると彭高峰の失児に関するツイートもあって、誘拐児童の捜索にたいして警察が動けていないことが見て取れる。けどこれは警察のどの部門を訪ねるかって話で、誘拐事件にドンピシャリな勇猛果敢で知略縦横な部門だってあるんだよ。御上にしっぽをふる部門もなかにはあるけど、警察にだって振るえる腕はあるとぼくはおもう。


二つ目の質問。法律をつくれば物乞い児童がなくなるなんて甘い、国民の生活レベルをあげないと問題は根本的に解決しない。自分から物乞いをする児童もいれば、貧しいから子供をつれて物乞いをするしかない親もいる。もし法律で禁止したら、かえって物乞いをする児童やその家族を餓死させるんじゃないか、というもの。

たしかに甘い

法律をつくれば物乞い児童がなくなる、法律を執行すればなんとなかると考えるのは甘い考えだとおもう、特に我が国においてはね。かといって法律を作っても何の意味もないと考えるのもそれもまた甘い考えだ。仮に善良な民意の現れとして法律が制定・修正されるのであれば、法律そのものに価値が生まれて、その価値は子供をまもるということにとどまらないだろう。

しかし、質問にあるような国民生活レベルの本質的な改善がなければ問題は根本的に解決しないという意見は空論だな。同じ論法が強請立ち退きや強姦事件にもいえるけど、国民の生活レベルをあげるといってもいったいいつになるやら分からないし、「レベルが上がった下がった」と判断できる確かな基準もない。そんな漠然と望みを抱いても現実問題を解決できるわけじゃない。何のお茶足しにもなりません。


誘拐した児童の使い道は二つある

一つは物乞いをさせるというもの。もう一つは子供のほしい家庭に売り渡すというもの。後者の場合、少なくとも児童の生命や基本的な生活は保障される。穏やかな家庭に養子になったんであれば相対的に発見されにくくなるだろうけど、まあ不幸中の幸いと言えるだろう。前者のように誘拐されて物乞いを強請される児童はまさに泣きっ面に蜂。

もし法律をちゃんとつくって執行するなら、誘拐した児童に物乞いをさせる現象を根本から解消できるだろう。そんなことしたら自分から物乞いをする児童や子供をつれて物乞いをするしかない家族をたくさん餓死させるんじゃないかと言われれば、まあ間違いなくそうだろう。でもさ、なにかしら法律をつくれば必ず利害関係者に、たとえそれが社会的弱者であれ悪影響が出るもんだ。ちゃんと取り締まる法律をつくって執行する、そういったぼくらの進歩がないかぎり本当の意味で社会的弱者は守れないんだとぼくはおもう。


子供にも物乞いの自由があるじゃないか

そんな言い分は認めちゃだめだろ。中国には耳を傾けなきゃいけない言い分がたくさんあって、あるべき自由がひとつもないのに、子供が自ら物乞いをする自由があるか議論するなんて悲しすぎる。子供に物乞いの自由なんてあっちゃならないのさ。子供は、国家が法でもって厳格に保護するものであって、彼らの自由意志に基づいて保護するもんじゃない。子供の自由意志に基づいてたらほとんどの子供が学校に行かずに外をほっつき歩いちゃうぞ。
子連れの物乞いをずっと合法のままにすれば、その事実を口実に政府は社会保障に手をつけなくなるだろう。いろんな職業があってその全部がダメでも物乞いなら誰にだってできる。子連れのほうが物乞いの上がりがいいとなれば、やっぱり生きていくために子供を連れてきちゃうもんだ。それを政府は「社会保障は自己責任だ」という話にすり替える。物乞いで生計がなりてばなりたったで、じゃあ生活能力のない奴は社会保障を受ける資格がないと政府は判断して、本当に保障が必要な人に保障をまわさなくなる、それもたくさんの数に。他人の不幸は蜜の味、旅は道連れってやつで、そんな不幸な人がどんどん増えていくに違いない。

児童による物乞いは禁止!

それで児童売買がなくなるとはおもわないけど、子供が誘拐される不幸は防げるだろうし、山積された社会保障問題に政府の目を向けさせることはできるだろう。




原文はこちら。訂正の指摘大歓迎

翻訳協力:@chiwavy


JUGEMテーマ:韓寒
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お元気ですが、お嬢だよ!

ここからのコンタクトでごめんね
携帯が繋がらなくなってたから

今度結婚することになりました!
是非式に参加して糒と思ってるんだけど、どうだろう。
携帯番号変わってないので連絡ください。

ところで、体調は大丈夫ですか。
お元気ですか | 2011/03/23 22:05
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