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韓寒blog 11/02/11
乞う
中国で社会問題になっている、児童誘拐事件と若年者による物乞い。小銭を渡すたびに気が重くなるもののついつい物乞いにお金を渡す韓寒、たくさん稼いでいる政府関係者に課税してその分を社会保障にまわして救済しろよ、とつぶやいている。
思い返せば6年前にカザフスタンに陸路で行った際に、ぼくも国境際でたくさんの物乞いに囲まれた。物乞いの人ごみから引っこ抜いて助けてくれたカザフ人のおじさんが「あいつら自分で脚や手を切って、たかってくるんだ。相手にすんな」っていってたな。
でも、産業もなく、漢民族以外の民族がしのぎを削って職を争うような環境でどうやって食ってくんだって考えたら、辿り着くの先の一つに「物乞い」ってのがでてくるんだろうな。


ぼくの車のドアを開けるとナツメヤシがじゃらじゃらこすれるような音がする。マフラーのネジが外れそうなんじゃない?って友達にいつも聞かれるけどぼくは「ちがうよ。小銭の音だよ」と応えている。ほとんどいつも車のあちこちに一元硬貨をころがしている。信号待ちや目的地で停車させたときにやってくる物乞いにあげるためだ。
あえて貧乏っぽい格好をする人もたくさんいるから、物乞いと向合うと複雑な気持ちになる。ぼくは比較的遅めの時間に家を出るんだけど、薄ら寒くなった道すがら、車で送り迎えされている物乞いの姿を実際に何度となく目にしているし。まあ、本当かどうかは別として可哀想な身なりの人も中にはいるわけで、物乞いにあうと何枚か一元硬貨をあげてしまう。でもだ、あげた後になんだか無性にむなしい気持ちになる。むなしいといっても「可哀想だなあ」というのはちょっとちがっていて、単なる感情の惰性とでもいうのかな・・・・・・。
 
中国の物乞い、大半は子供

仮にきみが道を歩いているときに、小さな女の子がよってきたからといっても施しをしちゃいけない。「金もってるのに不人情な奴」って思われるかもしれない?いやいや、どっこい。一度お金をあげたが最後、その瞬間に子供たちに十重二十重に囲まれてたくさん小銭を撒くはめになる。だんだん財布が軽くなっていってものすごい額の金が消えてゆき、今度は「見栄ン坊な奴」と思われるかもしれない。そして、多くの場合でこう気付くのだ――やっちまった。オレ、悪の片棒を担いじまった、って。

ぼくはよく物乞いの子に囲まれるんだけど、初めて囲まれた時に「いいかいボク、いま小銭がないからこれをあげるけど、ここにいる7・8人みんなでわけなきゃいけないよ」といって一人の子に20元紙幣をあげた。その子はボクをしばらく見ると、「ひゃー!」と一声叫んで駆け去っていった。ぼくはといえば残された子達に引き続きべったり取り囲まれたまま。脚には男の子と女の子がひとりづつぶら下がって、子供にじゃれつかれる感じを身をもって味わった。

ほんと、物乞いを通じてここ最近のインフレを感じる。数年前にあげた一元硬貨と最近あげた一元硬貨では返ってくる眼の色がちがうんだから。



なんでこんなに物乞いをする子供が多いんだろう?

幸いにも健全な子供をたくさん知ってるからいいけど、子供の物乞いがなんだか立派な職業になってるよね。最近、微薄(†中国版ツイッターのこと)上で、子供を誘拐していたずらをしようとする人がいるけど、何年前だったかいつも小さな手押し車の上にすわって物乞いをしていた障害児のことをふと思い出した。もしかしたらあの子は誘拐されて不倶にされ、物乞いのスペシャリストにしたてあげられたのかもしれない。

児童への物乞い強請を禁止する法律がずっと前からあるじゃないかという声がネット上にある。警察当局も児童に物乞いを強請する者がいたら通報するようにとはいってる。けど、問題はそこじゃなくて、物乞いをしたら金が入ってくる現状にあるんじゃないかってぼくは思う。だって、子供のそばにいて物乞いさせようとする人なんて見たことがないんだもん。

もちろん児童による物乞いは法律で禁じるべきだ。強請なのか、はたまた生計を立てるために親に急き立てられているのかは別として物乞いをする子供は相変わらずいて、かれらは犯罪者扱いをうけてしまうわけだから。物乞いが行われる場所は人通りも交通量も多くて警察もたくさん張り付いているところだから法の執行自体は難しくないはずだ。


法に則ってこの国から物乞い児童をなくすには、

相当の覚悟と憤りが必要だろう


が、子供を買ったにせよ脅迫したにせよその子を連れて物乞いをする親が同じように物乞いをなくそう!と考えるだろうか。なぜなら、ぼくが自分の子を連れて物乞いをしたとしてもそれがぼくの権利でぼくの自由なのと同様に彼らにとっては権利であり自由だからだ。
たしかにぼくらに出版や結社の自由もなければ旅行の自由もない。けど成人に達しているんであれば物を乞う自由くらいはあってしかるべきだ。もちろん自由はいつだって絶対的なものじゃない。国家行事があるとき、政府がプロジェクトを実行するとき、そんなときはやっぱり気ままに物乞いなんかしちゃいけない。

とまれ物乞いをするかどうかはその子の両親が上がりを勘定して決めること。ふたりで働きに出て稼げる1・2000元って額は子供を連れて物乞いをする上がりに比べれば高いわけじゃない。もちろん、だから子供を連れて物乞いしてもいいじゃないかという親の論理を真に受けていいというんじゃないよ。国家保障が不十分だという意見も認めよう。でもね、我が子を連れて物乞いをする親は他よりも劣っているんだといって、それを理由に政府が新しい法をつくったり曲げたりした結果、別の親の子がいま誘拐の危険にさらされているんだ。

法律が重視されていないことに関係があるのかもしれないけど、ぼくらの法律がうまく機能していないことは周知の事実だ。実際は考えられているほど不能じゃないんだけどね。法律の根本はかわらない。

すべては「誰が」法律を執行するかにかかっている

権力者がなにかしら行動するときに法律は曲げられる。権力者の手から解放されると法律は正しく機能する。いずれにしても、現状はいい状態とは言えないよな。



身体に障害をもつ人が本当に多い。障害をもつ子供も多い。彼らはどこにも行く宛がなくて物乞いせざるをえない。これはもう社会保障の問題だろうな。僕らでは何ともしがたい。だって、いまの生活保護の受給レベルでも充分じゃないんだから。もし受給資格の基準を都市部よりも貧しい農村にでもしたら都市に住むぼくらの生活は保障されなくなってしまう。

政府は子育てを支援できない

稼げるかどうかは別として物乞いをすれば税金やその他諸経費でお目こぼしがある。なのに、どうしてなんの免除もないぼくらが金を払ってまでそんな物乞いの子供の面倒をみないといけないんだろうか。
余談だけど、政府の奴らが金もってるのはみんな知ってる。先の金融危機で財政赤字で破産しそうになった州もアメリカにはあったが、それを嘲笑う関係者もたくさんいた。そんな関係者を脇において、もしぼくらが勝手に税金を取りはじめたらどうなるだろうか。道を遮って気のむくままに金をとり、家を勝手にとりこわして土地をならして勝手に転売したとしても・・・・・・政府関係者が破産するなんてことはまずないだろう。
そんな煩わしいことをぼくらがしなくとも、政府関係者に一律税金をかけて徴収した金を社会保障にまわせばいいんだ。そうすれば、政府も破産せず永続できる。とどのつまり、政府関係者の首が回らなくなりさえすれば、ぼくたちは安心して暮らせるってわけだ。

残念なのは他国の財政破綻をみてむちゃくちゃ喜ぶ人がいること。働きすぎで朦朧としていたところを激しく揺すられて目を覚ました、だけど病院にだけは頑としていこうとしない病気持ちの老婆のように「おれらの政府ってすげーーーーー!」って叫ぶんだ。そいつが住んでる狭い洞穴の中で何度もこだますくらいにうるさく。そんな人を見るとかける言葉を失ってしまう。

児童による物乞いの禁止が最終的に法文に書き込まれ、厳正に法が執行されることをぼくらは願う。いま子供が誘拐され、他の家に売り渡されている現実はすぐには変わらない。ただどんな事情であれ、まずは手を付けられるところから問題の解決をはからねば、だ。
財政負担を軽減させるために政府は国策として「一人っ子政策」をおしすすめてきた。がその玉の一人っ子達すら育てられないとしたら、破産しなくとも、何も言わずに従った多くの国民に対して政府はどの面をむけるつもりなんだろうか。

原文はこちら。訂正の指摘大歓迎

翻訳協力:@momogrnnda@JCyullycubics





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