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プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
評価:
マックス ヴェーバー
岩波書店
¥ 903
(1989-01-17)
コメント:なんでプロテスタントが勃興した地域、特にイギリスやオランダで資本主義が発展したのか。予定説からくる徹底した精神の孤立化、その孤立感をうめるために勤勉に労働するという天職思想などなどが書かれております。

浩由氏(@NIHhiro)から刺激をもらったベーシックインカムを正しくするために社会主義を理解しようと思って、たまたまひっかかった一冊。「社会主義」の周辺情報になるかな?とおもったのと、以前から名前は聞いていたので読んでみた。とても読みにくかったのだが、読みながら翻訳された大塚久雄さんの努力を偲んだ。日本語にない概念や感覚を前提にした論述を翻訳するのって相当大変なんだろうなあ。

信用に影響を及ぼすことは、どんなに些細なおこないでも注意しなければならない。

朝の五時か夜の八時に君の槌の音が債権者の耳に聞こえるようなら、彼はあと六ヶ月延ばしてくれるだろう。しかし、働いていなければならぬ時刻に、君を玉突場で見かけたり、料理屋で君の声が聞こえたりすれば、翌日には返却してくれと準備もととのわぬうちに金額を請求してくるだろう。(28p)



 キュルンベルガーの「アメリカ嫌い」はそこに見られる処世術を要約して、

「牛からは脂をつくり、人からは貨幣をつくる」

と言ってはいるが、われわれがこの「吝嗇の哲学」に接してその顕著な特徴だと感じるものは、信用のできる立派な人という理想、とりわけ、自分の資本を増加させることを自己目的と考えるのが各人の義務だという思想だ。実際この説教の内容は単に処世の技術などではなくて、独自な「倫理」であり、これに違反することは愚鈍というだけでなく、一種の義務忘却だとされている。しかも、このことが何にもましてことがらの本質をなしている。そこでは「仕事の才覚」といったことが教えられているだけではない。――そしたものなら他にいくらでも見いだされよう。――そこには一つのエートス(Ethos)が表明されているのであって、このエートスこそがわれわれの関心をよび起こすのだ。(29p)



人は「生まれながらに」できるだけ多くの貨幣を得ようと願うものではなくて、むしろ簡素に生活する、

つまり、習慣としてきた生活をつづけ、それに必要なものを手に入れることだけを願うにすぎない。近代資本主義が、人間労働の集約度を高めることによってその「生産性」を引き上げるという仕事を始めたとさ、到る所でこのうえもなく頑強に妨害しつづけたのは、資本主義以前の経済労働のこうした基調だった。(45p)



結局、神は自ら助ける者を助けるということを意味する。

つまり、往々言われるように、カル ヴァン派の信徒は自分で自分の救いを――正確には救いの確信を、と言わねばなるまい――「造り出す」のであり、しかも、それはカトリック のように個々の功績を徐々に積み上げることによってではありえず、どんなときにも選ば れているか、捨てられているか、という二者択一の前に立つ組織的な自己審査によって造 り出すのだ。(135p)



カルヴィニズムの神がその信徒に求めたものは、個々の「善き業」ではなくて、組織にまで高められた行為主義だった。 カトリック信徒たちの罪、悔い改め、懺悔、赦免、そして新たな罪、それらのあいだを往来するまことに人間的な動揺や、また、地上の罰によって償い、聖礼典(秘蹟)という教会の恩恵賦与の手段によって全生涯の了じりが決済されるというようなことは、カルヴァン派信徒のばあいには全く問題にならなかった。(143p)




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