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リテラリーマシン 
ハイパーテキスト原論
評価:
テッド ネルソン
アスキー
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(1994-10)
コメント:電子出版、ハイパーテキスト、思考のための玩具、未来における知性の革命、さらに知識と教育と自由にかんしてまで言及する、ザナドゥ・プロジェクトの周辺とそれ自体を語る報告書(冒頭文より)

こだまくん(@a_kodama )に勧められた本。内容そのものは明瞭。「ああ、なに、いまのネットの現状をただ書いているだけじゃん」気をぬくとこんな発言がでてきそうになる。が、本著。出版が1980年なのだ。つまりは、30年前にいまのネットの現状を推測・論理展開できていたわけで、ビックリものなわけです。
西暦二〇二〇年のビジョン
 
 現在から四十年後(その時まだ人類が生き延びているなら)、世の中には何十万ものファイルサーバーがあって、資料を記憶したり吐き出したりしているだろう。それらのファイルサーバーは、何億ものユーザーによって同時にアクセスされ、何十億もの記憶された文章を提供しているはずだ。しかも、それらの文章の間には、何兆ものリンクが設けられているだろう。
 これらのすべては明白な運命である。まったくの議論の余地はない。それが見えているか、見えていないかの違いがあるだけだ。多くの読者は、こんな文を読まされるとげんなりして本書を投げ捨ててしまうだろう。でも結局は、それが避けがたい現実であることに気づくだろう。(55p)


 今日あらゆる場所で見られるように、こうして教育の衰退と心の無力化が進行していく。教育は、まさにいろいろな学科を次々とつまらなくしていくプロセスそのものである。結局、最後に残った学科が、生徒の職業を決めることになる。「教育を受けた」人々は、「私はそれについては何も知りません。勉強したことがありませんから」と言うものだ。逆に、自由な発想のできる人は、それがどんな分野に属するものであっても、また以前に聞いたことがあってもなくても、新しいアイデアには興奮をおぼえるものだ。
 さらに悪いことには、この教育システムは、世界を「科目:に分けることができ、それぞれの科目がきちんと定義できるという態度を生徒に押しつける。また、階層を下から支える「基本」とその上に積み上げられた「高度な考え」というのがあって、後者はあとから学ばなければならないという考え方を植え付けているのだ。
 人々の知性の息吹を破壊したり、彼らがアイデアに没頭することや、考えたり、調査したり、仮説をたてたり興味をもったりするのを妨げるように、これほどうまく設計されたものは他にはないと言えるだろう。(85p)
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