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Design the World_3
○か×かじゃなくて
なにをじぶんはやりたいのか
その想いをもちつづけることだよ
恵良 隆二(Ryuji era)


Q:どんなことをしていらっしゃいますか?

基本的には街造りにかかわる仕事をしているよ。舞台は、いまは丸の内。じゃあ、なにをやっているのか。入社して10年ほどは計画立案や設計をやっていたけど、いまは街の運営。そこで文化を創れないか、人を育てられないか、働いている人のサポート施設をつくれないだろうか――たとえば、医療、社会人教育機関、とか。いまの仕事は5つぐらいの分野にわたっているね。

1 街を広報する(プロモーション)
社会に街の良さをつたえる。広報・メディア、行政、街づくり関係のひとたちとの折衝。雑誌に出稿する原稿のチェックなどもある。調査も大切だよ。

2 新しいビジネスをうみだす
丸の内から新しいビジネスを出していくことが、この街にとって重要。その時代時代にとって、活きのいいビジネスがうまれることが、街の活気の源につながるから。新しいひとたちがつながるきっかけを提供すること、ビジネスクラブやインキュベーションオフィスの運営。たとえば、「日本創生ビレッジ」―600人くらいの会員で、20くらいの小さなオフィスがある。ひとつのチームが取り組んでいるんです。

3 働いているひとを支援する
企業向けには、丸の内のインフラ整備。たとえば光ファイバー、データセンターや無線LAN化によるユビキタス環境の整備。ワーカー向けだと、女性専用医療施設、第2号・第3号の託児所の設営(※1)。学びの場だと、慶應丸の内シティーキャンパス、東京大学の経済学系の先生方との取り組みで公開講座「ものづくり寄席」というのもある。今度のあたらしいビルでは、金融人材の教育施設や外国人がつかいやすい医療施設なんかも計画していて。

4 街のイベントを企画する
街イベント(※2)。商業的な販促イベントというよりも、街全体の付加価値をあげられるような、そして街をしってもらえるような参加型のイベントをやる。近々だと「皇居一周のマラソン大会」。この街で働いているひとが4人1組で、いま、110組の応募があって。このペースだと160の枠はもうすぐ一杯になりそうだね。
街の情報発信。これはね、公共団体と一緒にやることが大切なんですよ。普段つかえない道路のような公共空間を上手につかって、地域全体でひろげる工夫をして。街並みや通り、地下の空間をこれまでとは違う見方でとらえることで――「通行」以外のつかい方を提示したりして――、新しい価値を見いだす。コミュニティー空間のようなある種の地域意識がうまれてくる可能性を考えてみても良いかもしれないよね。
それから、小さなコミュニティー空間でトークをしかける。たとえば、大使館シリーズ――大使館とその国の文化や歴史、食べ物を紹介したり。スポーツではオリンピック選手のトークとか。アート関係だと、都内の美術展のキュレーター(学芸員)のトークイベント。句会も時々あって(※3)丸の内cafeのようなコミュニティー空間でミニイベントをこじんまりやって、思わぬ人が登場したり、面白いですよ。

5 美術館づくり
三菱一号館という歴史的建築を復元し、美術館として運営すること。去年4月に建物は竣工して、今年4月に美術館としてオープンします。今、オープンに向け準備中。

※1 
第1号は東京ビルにあるんですよ
※2
年末の光のイベント、春は若手アーティストの発掘支援、それから、花のイベントとか、秋は東京芸大との「藝大アーツ・イン・丸の内」。「カウパレード」では公共サイドの理解が必須です。
※3
その句会でポスターやチラシ制作や空間をアレンジしてくれた若い人達が国際的なデザイン賞をとったりしたんですよ。

taken by ngotoh

Q:きっかけはなんでしたか?
いま言ったのって、できるだけお金をかけずにやるのが「続ける」ポイントだよね。お金かけてやっちゃうとさ、「そら、大企業だから・・・」となっちゃう。それはよくない。そうでなくて、人と人とのつながりのなかで出会ったひとに来てもらう。誰かと出会って、で、そのひとが空間をとても気にいってくれて、そうすると「ぼく、こういうひと知ってるから今度連れてくるよ」と、友達を誘う感覚で別の誰かを連れてきてくれる。無理に来てね、とはいわないんです。

街がオープンであれば、ネットワークがどんどんひろがる。もちろん、目にみえない規範や礼節は必要、丸の内にはそれがある。だから、大規模なイベントをやってもあまり汚れないんだよね。この街がもっている、みんながもっているある種の暗黙の了解――ルールみたいなものがある。このルールがくずれちゃうとダメだとおもうんですよ。ルールは自然と「みんな」で創っていくもの。街をだれかが管理していて、「あーせー、こーせー」というものではない。このルールを維持するのが最大のブランディングだとおもうんだよね。

この5つ以外には時々、地方都市の街作りのアドバイスもやったりしてるかな。

街づくりは長い目でみないといけません
 
それから、次のひとにつなげていく
 
という意識をもたないとね



そうでないと長くつづかないんですよ。「自分がやってます」というのではないですよ、「一部ぼくも参加しています」というスタンス。分をわきまえてね。
もともとは開発でね、設計を10年。設計といっても、都市生活・ランドスケープデザイン・アーバンデザインの方面。でも、ゴルフ場、スキー場、霊園、工業団地・・・・・・それからヨットハーバーもやったかな?あとは環境アセスメントや文化財の保存だとか。で、そのつぎの10年がみなとみらいのような大規模開発。設計でなく事業サイドの立場で。そして、次の10年が丸の内。設計者、事業者、コンサルタント、いろんな立場を経験したね。


taken by schubi74

Q:きっかけはなんでしたか?

大学の研究室が、「緑地学」、「景観論」や「地域生態学」関連だったこと。ベースには植物生態学。生態ベースのうえにランドスケープがあり地域計画があり、要はそういう研究室だったんだね。
じつはさ、高校のときは理科系でなくて文化系だったの。浪人中の秋ぐらいに急に「海洋開発」とか「都市開発」になんでか興味をもって、理科系に変えたんだよね・・・・・・11月くらいだったかな?そこから、数学とか地学や物理を大急ぎで勉強した。もともとは歴史や地理にいこうとおもっていたんだけどね。へんな話だけど、志望先として、法学とか経済とかはピンとこなかった。実学だから、学問じゃないんじゃないか?とおもってたんだね。

大学に入って、理学部的なモノをみたときに、「これは絶対ムリだ」とおもった。わかんないじゃん(笑)。理解できるけれど、本質的な部分をつかめるという感じがしない。さて、どうしよかな。都市計画、地域計画、自然保護――じぶんの興味があるそういったものをなんとなく探していた。そうしたら、見つけたの。「緑地学」という講座があるじゃないか!研究範囲に日本庭園のような興味分野もふくまれているから、エセ理学部としてはここらで見切りをつけよう!(笑)そして入った。わかりやすいでしょ?入ったはいいものの、やっぱりデザイン力が必要なんだ。でも、じぶんにはムリ。それで、プランニングの道にいくことにした。

それから地域計画や都市計画をしばらく勉強していたんだけど、さて、どこに就職しようか、と考えた。専門分野からして、役所か設計事務所かコンサルタントくらいしかないんだよね。でも、役所ってさ・・・・・・。当時、霞ヶ関でバイトしてたんですよ。そしたらイヤになりましたね。なにがイヤになったかっていうと、役所の先輩とお昼食べにいくと人事の話ばっかりする。地方自治体のおじさんたちがやってきて若い人に頭を下げ続ける光景を見る。政策に取り組むという感じがしないの。

当時は若かったから
 
「役人は偽善者集団なんじゃないか?」とおもった



本当に世の中のためにやっていないんじゃないか?志がないんじゃないか?――この制度はおれがつくったんだ!と会議で格好いいことはいうわけさ。制度をつくってもそのあとが重要でしょ?まだ学生だったから、「なんかいやだなー」と。たとえば、「自然保護」といってるだけだと実現しないじゃない。やるためには、経済とかとどう折り合いをつけるかがしっかりしていないと。理念は立派なんだけど経済がついてかないよね。人間と自然のバランスのとるなかで、どう自然とむきあうか、これが重要だとおもった。その狭間でなやんでいたときに、いまの会社で採用の枠があると声がかかったの。ほんとうにご縁。たまたまその年に募集があったんだね。


Q:入ってみてどうでしたか?

バカでね、設計部門に入るとは知らなかったの。入ってみてビックリ(笑)。「あれ志望していた開発じゃない!」設計はやってなかったから、大変だったよ。設計のやりかたを教えてもらって、なれない左手で図面をかきながら。で、いろいろと考えた。
地域開発で、人間の営為と原生自然ってのは、対立的にとらえると成立しない。人間の営為と自然のバランスをどこでとるか。――こわしきっちゃいけないけど、10年ねかせればもとにもどる、とかあるわけさ。たとえば住宅開発という要求と地域の自然との関係で、できることはないか。緑にやどる歴史や意味(※4)をくんでプランニングしていく。ゾーニングってやつだけど、経済性が成立するかたちで、できるだけ「あるもの」を遺していくの。遺すことが将来価値をうむ、価値を増すはずだ、そういうスタンスで仕事をやろう。流域を遺すようなデザインとか、現場でやればできることってあるわけさ。微々たるものだけれど、誰も「よくできました」とはいってくれないけれど、チャレンジじゃない。学生のときにやっていたことを活かせるんじゃないか、とおもうわけ。

完全に活かせるかを○×で考えると難しいけれど
 
少しでも○だとおもうことを
 
仕事のなかちょっとずつやろう、と



あるビル建設の計画がでたときのこと。ビルを建てることで、となりにある日本庭園に影響はあるか、という話がでた。もちろん、ゼロじゃないよ。顕在化する影響とそうでない影響――日照、鳥の行動、昆虫、水棲動物、桜の開花時期とか――を数年かけて調べたの。たとえば池のそばにベンチがあって、昼休みにみんながごはんをたべに座りにくるとする。じゃあ、そのベンチにお昼に陽があたるようにビルの形を設計をしよう――こんなことができるんだよね。

工場地帯に緑をつくる、なんてときも。外国の木をただうえるのではなくて、その土地に適した木をうえる。本来その土地にある森を構成している木をね。あと、肝心なのは、うえるまえに土をゴソっと全部いれかえることなんだよね。「そうすれば10年後の森の姿が絶対ちがってくるから」といって土地のオーナーを説得して。場所の目的にあわせてうえる木をかえる。完璧な植木って高いんですよ?ある方向だけ見栄えをよくすればいいのであれば、森の端のほうは良いものをつかって、その奥は安いものをつかって、バリエーションをふやしてあげる。そうすれば、安くなるからオーナーも喜ぶし、森にとってもいい。現場でとけることって多いんだよね。

※4
手入れが必要な二次林とかが放棄地にならないように「里山」というかたちで生活や生産システムと連動している――そんな自然があるとすれば、それってすごく大切にしなければいけないじゃない?管理されて維持されて、生活の一部としてのこっている自然っていうのは、歴史も意味もあるんだから



taken by 反光鏡的視野

現場ですこしづつ積みかさねていけば、10年たっても土地の資産価値がへらない、なんて場所もでてくる。それって独自の計画なんだよね。ゴルフ場の設計がそうだったけど、地形分析と水系分析と植生分析をかさねあわせて、保存すべき場所をきめてから設計するなんて、あまりなかったとおもうよ。緑にたいするちゃんとしたプランニングをしてます――というのは企業評価もあげるし、学会での信頼獲得にもつながってくる。「山を削るディベロッパー。でも、そこそこやってるね」くらいはいわれるわけさ。

経験を積みかさねていくと、信頼関係も一緒に積みあがってくる。目減りしないんだよね。若いときからはムリだけど、10年、20年たつとネットワークが蓄積されてきて。15年くらいたつとできることがふえてくる。自分が設計のチーフになる頃には、つきあってる連中も(役所だと)課長補佐や助教授になってたり。すると、コミュニケーションの幅がひろがるんだ。「そういうこと考えてるのか・・」「こんなことやってみようとおもうんだけど、どうおもう?」とか。お互いにとって、いい回り方になってくるじゃない。

50才をこえると、地方自治体や国からお声がかかってくる。断る必要はないんだから、自分の役割をわきまえてアドバイスをする。アドバイスすることはおもしろいし、することで時代遅れにならない。後輩にたいしても、押しつけとか変な上下関係ではないつきあい方で接するようにこころがけている。50にもなれば、自分の知っていることはすべて話す、でないと不幸な60になっちゃうからさ。60になって会社の肩書きがなくなったとたん、社会では認知されなくなったらいやじゃない。

話がそれたけど、できるだけ自分のやった仕事のなかで「いいことやったな」とおもえることをしたいよね。プランニングするときに自然の地形をいかそうとか、公園に樹をたくさんうえようとか――制度を守りながら運用面で工夫やなにかでカバーしながら。


Q:地方にいくと奇抜なモニュメントが目につきます。運用にのっていない、地域性をまったくかんがえていない。何でだとおもいますか?

芸術家になりたいんでしょうね。なっていいんですよ。だけど、建築ってのはひとが使うもの。

ひとがどう使うか
 
地域のなかでどういうポジションをとるのか



そのことを考えないと、パブリックなアーティストにはなれないとおもうよ、たぶん。いくら奇抜なものをやったって。それは偽物になっちゃう。

丸ビルの話、おもしろいんだ。――どこが建物の正面なのか。ふたつの考え方がある。ひとつは東京駅、もうひとつは行幸通り――つまりはふたつの正面がある。じゃあこれは同じようにつくろう。つぎに商業施設を下にいれる。どっちにいれよう・・・行幸通りはどうやっても日陰にあるから丸の内側にだす。それからタワーを上につくらなくちゃいけない。どうするの?正方形?長方形にするの?長方形にすると困ることになる。簡単にいうと中途半端になる――商業施設をおくことで横の広がりがいるとすると、タワーのコアの位置とずらさないと対応できないからね。

行幸通りを正面としたときに、皇居にぬける「空間」が非常に重要になるんだよ。むこうがわに皇居の青空がみえるように――ってね。じゃあ、長方形の短い辺を東京駅にむけたほうがスッとする。東京駅に長い辺をむけちゃうと「カベ」に見えるでしょ?となりのビルが同じことやったら「カベ」がつづくことになる。けど、短い辺をむけると、ビルとビルのあいだに広く空間ができる。となりの行幸通りの空間とあわせると、そこに青空がひろがる。これって大きな財産だよね、自然要素をふくんでいて。

だけど、これってね、アーバンデザインとしてはおかしいぞといわれることもあるわけ。東京駅を正面にしたときに、タワーが横をむいているとはなんなんだ、と。「カベ」をつくるよりいいとぼくはおもうんだ。だから行幸通り側を儀礼的な正面に、東京駅側を街の顔にして設計した。そうしたほうが街に活気がでるんじゃないか、といってね。


taken by Wally Gobetz

ひとつの価値観で街を造るのはむずかしい。時代も価値観も変わるからさ。でもまもるルールはあったほうがいいよね。東京駅の広場にたいして、低層部31mは昔ながらの街の痕跡をのこして、高層部には空間があくようにする、というように。

丸ビルでよかったのはいっしょにやった建築のみんなが了解してくれたこと。普通は造営屋のいうことなんてきいてくれないけど、30年くらいずっと一緒に仕事をしてるんで、相手もわかってんだよ。――こいつのいうことだからきいてやろう、って。お互いにわかっていってんだな、という世界。これが突然、「ランドスケープデザインやってます」なんてまったく知らない人間がはいってきたら「ふざけるな」となるよね。付き合いって、長くやってると自然とできあがってくるものなんだよね。

若いときは競争とかいっぱいあるかもしれないけれど、ともに社会になにかするんだという意識の共有があれば、話が通じるんですよ。世代でもっている財産、意見もいいあえて協力できる関係。異分野のひとともね。すると、コラボレーションもできる。

重要なのは
 
方向性やベクトルみたいなものをもつこと(※5)



ステージがあがれば、自然とみえてくるものがある。どんどん上がっていこうとおもえば、上がっていけるし、地域にいこうとおもえば地域にいける。最初からゴールにむけて一直線にいけるひとは、よっぽどの幸運か天才だけ。
議論がとまったら制約条件をかえる。与件をかえれば、もうひとつ新しい要素をくわえれば、答えがでるなんてことはいっぱいある。変数と式の数があってなくて連立方程式がとけないのであれば、新たに仮説をたせばいい。意識的に環境を変えてみると打開できるんだな。それから、「今年はむりだけど、5年後ならこのプロジェクトをやれるかな」とかね。

※5
どの世界で活きていこうかなとか、こういうゴールを目指そう!とか。ゴールも変わっていってよいとおもうんだよね



『丸の内』というのは社会が認知しているから、存在する。

ぼくらは『丸の内』を先人から預かっている
 
という気持ちでやらないとだめなんじゃない
 
とよくいうんだよね



社会的に認知されないようなものは、いくら経済合理性が高くても意味がない。
 
 □街造りの3つの視点

 1)文化的に認知されるか
 →とんがってもいいけれど、社会との関係のなかで成立するか

 2)社会的に認知されるか
 →社会が認めてくれるか。この街でやることの意義だよね

 3)経済的に認知されるか
 →ちゃんと経済的な目標値をきめてやる。でないと継続できないでしょ?

この3つの視点で街造りをしないとダメだとおもうんだよね。
自然保護もおなじ。二次林の保護とか、絶対に手はかかるじゃん。手がかかることにたいして、社会的認知では「環境教育」とか、経済的認知ではボランティアや有料イベントとか、継続させるための経済システムがないと成立しない。インフラ管理は行政がやります、運営は地元がやりますでもいい。やっていることを社会が評価してくれれば、みんながんばったり、努力したりするじゃない。自然保護、景観保全をするにはそれを維持するだけ計画をもっていること――文化的評価の置き換えが必要なんだ。いつもぬけちゃうのは社会性と経済性のバランス。

よくディベロッパーが反対運動にあうのは
 
社会性がぬけているからなんだよね



社会性がないとどんどんコアになっていく。話せば話すほどまわりはひいてっちゃう。当の本人たちは「なんで理解してくれないんだろう・・」となってしまうんだけど。。

『丸の内』はね、ジャンルと空間と時間でわけているの。

ーージャンルーー
生活系の文化、アート系の文化、商業系の文化。おおまかでいいけれど、なにか思いついたらとにかくどれかに分類しよう、で狙いをちゃんともちましょう、と。

ーー 空間 ーー
アトリウムのような共有部――建物の「中」から、仲通のような公共空間――建物の「外」へ。文化制作する舞台を、メンバーを、どんどん外にひろげていこう。

ーー 時間 ーー
春夏秋冬でやったほうがいいイベントと、朝・夜でやったほうがいいイベント。仲通は南北に平行しているので、必ず昼に日がはいる。行幸通りは東西方向なので昼は日陰になる。月の満ち欠けも考慮にいれてさ。

ジャンル、空間、時間できりわけて考えましょう。それから、文化的、社会的、経済的3つの認知をふまえましょう。そうやって文化政策に取り組んでいるんです。そうすれば、うまくバランスがとれて、続けられるんですよね。

基礎になったのは学生のときに2年間学んだランドスケイプデザイン。それを武器にして社会でちょっとずつでも積みあげてきたら「環境計画」になってきて、さらに「地域開発」になっていって・・。いつのまにか設計から事業主側になった。事業主側にたつってことはお金の責任をもつってこと――設計条件をきめられるわけですよ。こういう条件にしてくれ、こういう開発にしてくれという立場。設計をわかったうえで立場にたっているから無理難題はいわないけど、「これだけは重視してくれ」と適切にいえる。つくると今度は「ちゃんと運営しろ」といわれるわけで。たとえば横浜のランドマークハウスのホールの運営とかね。で、演劇やダンス、美術展――いろいろ企画する、たくさんのひとと付き合う。そうやって運用の勉強しながら、同時に歴史保存の勉強もやった(※6)。それが丸の内の開発にもいきて、「こういうコンセプトのビルをつくろう」となったときに、役だつわけです。横浜でやったことによって話をきいてもらえる。丸ビルにどうやって土地の歴史を継承させるか、ということも現場のひとにきいてもらえるようになってたんだね、そのときには。だから理解してやってくれる。

※6 船の修繕用ドックの保存活用とかね


仲通をかえようと話がでたときも、もともとはじぶんは土木設計を経験していたから道路のこともわかってるんだよね。「こうやればギリギリとけるだろう」というのがみえてくるわけ。――ここをせめればわかってもらえる!道路法をふまえてどうするかがなんとなくわかるんだよね。車道の幅員をへらすこと、車道を石畳に、木のうえ方、その種類や大きさ。賑わいを道路沿いにならべるやりかた――全部、横浜で経験したこと。さて、できた街の発信をどうするか。委員会をつくって、マスタープランをかいて・・・いつのまにかできてるじゃない。いつのまにかプランを書けるようになっているし、委員の先生とも話せる環境ができている。


そのうち一号館の話がふってきた。「禊ぎがいりますよ・・」とかえした。それは、40年前になんで一号館を壊したのか最初にちゃんと答えるということ。堂々と答えないと建築の先生は協力してくれない。当時、解体反対運動をされてこられた方々からしたら「なんでまたいまになって復元するんだ」とおもうよね。だから、反対運動をされてこられた先生方に全員、委員会にはいってもらってプロジェクトをたちあげた。オフィスや商業施設にしたらダメだから、使用用途を一緒に考えて最終的に美術館になった。みなとみらいに必要な機能はなにか――みたいなことを横浜時代にしょっちゅうやっていたから、「丸の内」だとなにがいいだろう?ビジネスクラブとかいいよね!なんてことが議論としてでてくる。

いろんなことをやったけど、結局は「相対的に良い街造りをしよう」ということにつきる。じぶんが関わることで、良い街造り、良い環境計画をつくるんだというのをモチベーションとしてもつようにしている。仕事には効率性や収益性は必要不可欠だけれど、会社ってのは社会との接点のなかで成り立って、ある種の信頼が勝負の仕事をしているわけだから。

○か×かじゃなくて
 
なにをじぶんはやりたいのか



ぼくは街造りや環境を会社に価値として認めてもらったほうが、会社にとっても、自分にとってもいいとおもっているから仕事をしているのね。住宅であろうと、マンションであろうと、ビルであろうと――なんだっていい。ただの自己満足じゃなくて。そんな想いを捨てずにもちつづけること。想いを捨てんのは簡単だけど、社会的に認知されないよね。――もしかしたら奥さんにバカにされるかもしれない。――子どもに仕事のことを話せない、なんてことになるかもしれない。大変だよ、表と裏の顔をつかいわけなくちゃならない、なんてことになったら。


Q:次の目標を教えてください

目標はおんなじ、かわんない。
もう年だからじぶんが仕掛けるのはやめかなとおもっていて。なんとなく自分のなかで、会社生活が終わった地点で納得いくようにしときたい。「やりのことしたことがないように」という気持ちで一つひとつやっていく。そのあとも仕事はありそうだけどね。まぁ、これといった目標はないですよ。偉そうになるのはイヤだし、頭がふるくなるのもイヤ。50になってから、つきあいの幅も広げたし、平日に奥さんと一緒にすごすために有給をつかうようになった。最近、忙しくて減っているけど。――そうやって、だんだん普通の「生の」社会との接点をふやしていこうとおもっています。




恵良 隆二(Ryuji era)
1951年、横浜生まれ。1974年に東京大学農学部農業生物学科緑地学研究室卒業後、三菱地所株式会社入社。土木部、その後企画部、横浜事業部、丸の内開発事業部を経験。2005年に街ブランド企画部長。

主な担当)
ニュータウン、ゴルフ場、工業団地、公園緑地の設計、環境アセスメント等の計画・設計・調査、横浜みなとみらい21事業、横浜ランドマークタワー計画、旧横浜船渠第2号ドック保全活用計画、クィーンズスクェア横浜計画ほか、丸ビル建替え計画、日本工業倶楽部会館保存活用計画ほか丸の内再構築計画、街ブランド方策の企画・実施




Design the World_2
目のまえのものに真摯にとりくむことが、
着実に「常識」をかえていくんだと思う
湯川 伸矢
http://8ru.jugem.jp/?eid=199


Design the World_1
"I"を"We"にするための場づくり。
これがつぎの目標かな
嘉村 賢州
http://8ru.jugem.jp/?eid=179









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