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Design the World_2
目のまえのものに
真摯にとりくむことが、着実に
「常識」をかえていくんだと思う
湯川 伸矢(Shinya yukawa)氏

Q:どんなことをしていらっしゃいますか?

ソーシャルブリッジ株式会社というのをやってるんだ。いまの日本には、2つの存在があってさ。社会にとって意味のあること、困っているひとを支援するNPO・NGO。それから、形だけでなくて本気でCSRをやっている企業。話を聞いてみると、NPO・NGOは「あんな大手企業なんて形だけでしょ?」っていう。企業は「NPO、NGOってどこまで信頼できるの?」っていう。せっかく良いことをやっているのに、お互いを知らない、知ろうとしないことがよくある。

じゃあ、俺がお互いを翻訳できる場所を創ろう、というので始めた会社。
でも、すぐにお互いに理解するってのはなかなか難しいじゃん?だから、まずは、それぞれの活動を映像にしてサイトで公開したり、それぞれが気軽に参加しやすいように単発的なプロジェクトを続けている。助成金とかの中間支援をしている財団と協力したりね。まずは仲良くなることが大切だと思って無料で色々なお手伝いとかもやったりもしている。
例えば、「ギネスに挑戦 NON STOP100時間」というイベント。知りあいづたいに出会った、群馬県の大泉町にある日系ブラジル人を支援するNPO。ビザ発行のお手伝いや、学園(私塾)をやっていて子どもたちに教育の機会を提供しているんだけど。この不況で日系の親御さんたちの職がどんどん切られていって、経済的に難しい家庭がふえた。そんな現状をもっと知ってほしい、基金を集めて子どもたちに還元したい。その話をきいて、よしお手伝いにいこう!企画からはいってプロモーションのお手伝いした。結果は3,000人の集客。すごいのはその後でさ、このイベントから発生した問題意識はブラジル本国にも波及した。いまNPOのスタッフさんが本国のひとたちとこの現状をどう打開できるかを話しあいにブラジルに渡っているんだよ。



Q:きっかけはなんでしたか?

海外だとアフガン支援、イラク難民支援、スマトラ沖地震の緊急支援、日本だとアトム通貨のような地域通貨の発行、森林の間伐、自然農法とか、たくさんのことをやった。で、いろんな現場で一緒になって活動をしているときに思ったんだよね。

現場でなにか問題が発生しても
 
対処療法はたくさんある
 
だけど、根本のものがなんとかなってないから
 
ずっと現場の人が苦しんでいる



しかも、人もお金も足りないてない。問題の根っこを断ち切れば問題そのものもなくなるのに。じゃあ、人も集めてお金も集めて、かつ問題の根っこを解決すること、『仕組み作り』を俺はやろう。で、いまの活動につながってるんだよね。
なぜ、『仕組み作り』なのか?なんていうかなー、当時はIT系の会社経営していたんだ。その会社では人がたくさん集まってもらえるようなサイト制作をしたり、技術的コンサルしたり、SEO対策したり、つまりプロモーションかな?NPOのひとと話しているとどうもこの「プロモーション」それから「企業との交渉」が弱いことが多いんだよね。

最初は活動のコンセプトや当事者に惚れこんで、そのNPO・NGOのサイトを個人的にタダで作成したりしてたんだけど、やってみて思ったのは、金も時間も限界があるってこと。当然、会社経営をやってるから社員を食わせなきゃいけない。一方でNPO・NGOの活動のお手伝いをしたり自分も現場で活動していきたい。この二つのバランスがとれないぞ、と。・・・・・・どうしよう、よし、じゃあNPO・NGOの活動を支援すること、これを専門にしよう!これが、前の会社の役員を抜けて、自分で会社をたちあげたきっかけ。


Q:ふつうのひとは課題があると「問題だなぁ・・・・・・」で終わってしまうけれど、なんでそう行動に何度も落とせるんですか?

あぁ、なるほど、うん。じつはね、

一番はじめに行動した
 
アフガン支援の動機は
 
『自分のため』だったんだよ



――これやったら、格好いいだろうなぁ
――これやったら、みんなから尊敬されるだろうなぁ

自分が成長した姿をひとに誇示したい、そんな気持ちが最初だったの、正直いうと(笑)。『社会貢献』ってさ、やってるときは最初っから綺麗事にみせるわけ。募金集めのときも、「私が目立つためにお金をください」というと集まらないっでしょ?「戦争が終ったいまだからこそアフガンの子どもたちにも希望をもてるためにサッカーボールが必要です。お金をください」という。でさ、いい続けると、おもしろいんだけどさ、いつのまにか本当にアフガンの子どもたちのために何かしたい、と思ってくるわけ。一種の自己暗示だよね。
はじめは「俺はだれかのために、がんばるんだ!」という自己暗示。だけど、いつのまにかいろんな活動を続けていくうちに「だれかのために」が本当の気持ちになってくる。すると、まわりに本気の仲間があつまって、次の活動の誘いをしてくれるひとがあらわれる。「イラクの問題も手伝ってよ」とメールが直できたりして。で、次の活動に突入。すると、また次の活動のお誘いがあって・・・・・・そして、どんどん「これが自分のやるべきことだ」って思うようになっていくんだよね。これが、何度も行動できた理由かな。

でね、大学卒業する頃に、ふと我に返った時があったの。そこで、大学卒業後に自分をみつめるために海外にでた。周りは就職活動とかやっていたけど、俺は「アフガーン!」「イラク―!」っていってる(笑)。ちょっぴり悩むわけさ、就職活動をやっていないことにたいして。いまやっていることへの満足感はあるけど、このまま会社に入らないで40年、50年こういうことをやっていけるのか。そこでふと思った。よし、海外のひとたちにきいてみよう!5つの質問をたずさえて、インタビューしたんだよ(※1)

※1 いま、ドキュメンタリーでまとめてる。なんか、どんどん構成が変わってきちゃうんだよねー


5つの質問項目――
 あなたにとって...
 1)愛(LOVE)とは?
 2)平和(PEACE)とは?
 3)夢(DREAM)とは?
 4)宝(TREASURE)とは?
 5)旅(TRAVELING、JOURNEY)とは?

質問への応えを聞きつづけるんだけれど、それは自分に同じ質問を問いかけることと同じでさ。英語はあんまりよくわかってなかったんだけど、みんなの想いはどんどん伝わってくる。俺は日本の価値観や常識しか知らない。だけど、目のまえのひとはその土地の価値観で語る。共産圏だったポーランドのひとの「PEACE」とアフリカのひとの「PEACE」、顔は同じでも表現が全然ちがう。30ヶ国回って、途中ビデオがこわれたり撮影できなかったりして、映像にできた人は100人に届かなかったけれど、その何倍のひとと語りつづけたんだ。その積み重ねのなかで、

今まで自分のもっていた「常識」とか概念は
 
すげーちっちぇーなって悟った



大学3年生になると就職活動しないといけない、というような考え方の幅の狭さがじわじわわかってくる。もちろん、サラリーマンになることは悪でもないし、なればいい。とてもすばらしいことだよ。ただ、ほかにも道があるということを知って、その道を選ぶかどうかが重要なんだ。でしょ?自分の肩書きとか、狭い考えとか、そんなことは海外で話をしている当の相手にはどうだっていい。「俺会社経営してんだぜ!」『あっそう、で、金くれんの?どういう意味?』みたいな(笑)。話を交わすうちに、価値観にこだわりがなくなってた。で、日本に帰ってきた。

帰ってきたときには「これをやらなければならない」ということにたいするこだわりはすっかりなくなってたよ。ちゃんと「生きていこう」と自然に感じるようになってた。当たり前の感覚、ってやつ。その感覚を持って、現場でおきてるいろんな問題にあたっていくとどうなるか。問題を見ても「これはこうやって発生しているにちがいない」という先入観をもってみない。――なんでおこるんだろう?これまで蓄積した価値観をベースにいろんな角度から検証できる。すると、解決できる「仕組み」がたまたまでてくる。たまたまでてくるんだよね。自分がやるべき、自分だからできる、とは思ってないんだけれど、でてきたんならやってみようか!って感じ。


Q:やりたいことを実行されているなかで、どんなものが見えてきましたか

思った以上に、自分のアクションに対してまわりはパン!とすぐにはのらなかったのが想定外かな。もっと企業とかものってきて「それいいからお金出すよ」とかいってくれると思ってた。だって、アフガンのときとかはスポンサー交渉すると、すっと金をだしてくれてたんだもの。けど、簡単にポンポンと動かないんだなって。あとはあれかなー、会社をおこしたのがリーマンショックの一ヶ月前で、当初たててたビジネスモデルがいきなり通じなくなった。想定外。あれーっ!?って・・・(笑)。

それ以外のものはもっと想定外。どういうことかというと、考えていたよりもっとおもしろかった!企業のCSRやNPO、たとえば、企業の活動でもただ単に金をNPOにだすのではなく、自分たちが主体でNPOには手伝ってもらうんだ!くらいスタンスの企業とか。三井物産フォレストの保護林活動とか、Green Jobとかね。三井物産のGreen Jobだと、もともと日系ブラジル人支援をしていたので、その流れで日系ブラジル人のひとに森林の管理を仕事としてお願いしたりしている。あたらしい雇用モデルを企業が積極的に実験しちゃってる、すごいことだよね。

その他?んーー、映像編集?実はほとんどしたことがなくて、外注費分もとって自分でやるつもりではなかったんだけど、いつのまにか自分が「編集長」になって撮影・編集もするようになったこと。これも想定外。結局やってみて、やっぱ現場が好きなんだ―、って(笑)。編集過程にある全部の仕事一つひとつに独自の楽しみがあるから。もちろん、全部自分が責任を持つんだけどさ。

事業のはじめからつまづいたから、もう
 
想定外のことを考えつづけて行動していく



すると自分の周りで新しい動きが生まれてきて、一緒に築きあげてきたものに関わっていく、それをつづけていく。どこまでも想定外だよー。


Q:次の目標を教えてください

昔は目的、目標をきめて動いてきたけど、いまはあんまし考えていないんだよね。その場その場で。「その場しのぎ」といわれたらそれでおわりだけど、「目の前のものに真摯に取りくんでいると、次から次へと自分の想像以上のおもしろいこと新しいことが出てくる」という楽しみにきづいちゃった。ただし、注意書きが一つ。それは、自分にとってぶれない「軸」を持ちつづけること。
俺の場合は「世の中はもっといいことになったらいいね」「もっと幸せな社会になればいいよね」という当たり前の想いをもつこと。なかなか変わらない「常識」を一歩ずつかえていくんだぞ、ということ。この2つの軸はなにをするんでも、はずしちゃいけないよね。




湯川 伸矢(Shinya yukawa)

19歳で個別指導塾の立ち上げを行い、その後ITベンチャー企業での経験を重ねる。2002年日韓共催W杯をアフガニスタンに届ける活動「アフガンプロジェクト」を実施。その後国際協力NGO団体の立ち上げ等を行い戦争直前のイラクへ渡航。同時にNGO・NPO支援を目的としたデザイン事務所「PEACE DESIGN FESTA」を設立。アトム通貨の発行、原宿でのカフェプロデュース等地域へ目を向けた後に、アジア・オセアニア・ヨーロッパ・アフリカを訪問しドキュメンタリー制作を続け、スマトラ沖地震での緊急支援を行った後、再びビジネスの世界に戻って行く。2008年にSI系ITベンチャー企業の役員を抜け、イイコトとの懸け橋として「ソーシャルブリッジ株式会社」設立。「ギネスに挑戦 フットサルマラソン大会」等のプロジェクトの企画・運営、富士山・奥多摩での間伐活動を続けながら、各団体との懸け橋を続けている。


◇ソーシャルブリッジ株式会社 取締役
 http://social-bridge.jp

 ソーシャルブリッジTV 編集長
 http://social-bridge.tv

 社会貢献REORT 編集長
 http://csr-report.jp

◇イイコトとの懸け橋「社会貢献探訪記」(個人ブログ)
 http://ameblo.jp/shinjon/






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"I"を"We"にするための場づくり。
これがつぎの目標かな
嘉村 賢州
http://8ru.jugem.jp/?eid=179
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