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リグ・ヴェーダを訳すぞ!
 →第一文目で心が折れる
物語の参考資料としてまちがいなく重要なヴェーダ集、その大元締め「リグ・ヴェーダ」。
ヴェーダに詳しい教授に日本語訳がないか聞いたら、「ありません。英語ならあります」ということで、下記サイトを紹介してもらった。

リグ・ヴェーダ(T.H.Griffith訳)


で、あってるかどうかも分からない翻訳してみたが、あまりの膨大さに、しょっぱなの「第一章・第一節・一」で心が折れた。
こんな短文を翻訳するだけで30分ほどかかった。しかも訳文があっているかどうかも分からない(結局、サンスクリット原文を照会する必要あり)。これでも一応、英文科だった、なんてことは恥ずかしくて言えない。

日本にはせっかくヴェーダを研究している先生方がいらっしゃるんだから、だれか邦訳全文を出版してくれないかな!
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広州夜


よれよれに きばんだふくは たけぐしの
さきをねじこむ じてんしゃは あぶらにきばんだ ほそいあな

ほそいみぞ  ほそいあな  くらがりのなかで たけぐしを
みぎかとおもえば ひだりへと こわれぬように よれよれに

たけぐしのさき よれよれのさき すてられるための ほそいあな
あぶらにきばんだ さまざまの たべもののやま ごみのやま

さきほどたべた ごみのやま たけぐしのやま よれよれに
さきをねじこむ いぶくろは たけぐしおもく こころ、おもく
最近の心境を和歌で詠んでみた

taken by tricky ™

首歌

うちがらし こちふくにわの 泊(と)まり木よ

朽ちたるさまは たれにみせしか



打ち鳴らしたかしわの音がむなしく響き渡る枯れ果てた庭に春の到来をつげる風が吹いている。なのに泊まり木(※1)よ。お前はなぜそんなにも朽ち果ててしまっているんだ。誰に見せようというのか

※1
泊まり木とは、鳥が羽を休めるために泊まる木のこと。神社の鳥居はそんな木を真似てつくったもの。


(本意)
昔は天の使いである鳥があちこちからやってきてにぎわい栄えていたかつての庭が今は見る影もない様を、自分の心情と重ねて読んでみました。鳥(すばらしい友人たちの活躍や誘いの便り)はちらほら。来ても葉を茂らせてないのでおもてなしもできない。やるせなす。
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して、かわらざるや

海にのまれ 風にふかれ
あつき夜は ここにひらく
街は腐り ひとも腐り
どこへともと 汚物はゆく

海にのまれ 風にふかれ
塵に芥(あくた) ここにすだく
おとこ、おんな 道にあふれ
夭(わか)き茎は はやく折らる

山に土に 育てられる
夭き茎や 芭(はな)の末は
夭きゆえに ただ手折られる
おとこ、おんな 道にあふれ

樗(おうち)ゆえに 永く遺り
あつき風に ゆれて見ゆは
いつの時よ どこの場所よ
街は腐り ひとも腐り


JUGEMテーマ:小説/詩


大学の詩@生徒手帳
「詩」とはいわないかもしれないけれど、大学の生徒手帳の見開き1ページ目にかいていた標語。常日頃、このメッセージをみながら、ときにくやしがり、ときに喜び、ときに涙した。


学を衒わず、意味なく己を卑しめず、人を侮らず、不平不満を言わず、驕らず、おもねらず、和を重んじ、万事よく工面し、切磋琢磨を心がけよ。(各学年時生徒手帳より)


どれだけ、標語に沿えたかは、どうか訊かないでくださいな。
村の砂金すくい
JUGEMテーマ:就職活動


むかーし、むかしのこと。東のくにのあるところにひとつの村がありました。
村人はせっせと毎日働いて、それはそれは、つつましやかに暮らしておりました。
村ではひとつのきまりごとがありました――それは、毎年春の雪解けの時期になると、村一番の正直者をえらんで砂金すくいの音頭をとらせるのです。
砂金すくいはこのあたりでは、どの村も総出でやりました。砂金すくいのときは、畑仕事や家仕事をわきにおいて、みんなで川にはいります。
隣村などは、としがあけるまえから冷たい川のなかにはいって、一生懸命川底をすくって、春になる頃にはすくいおわっているのでした。

さて、東のくにのある村でも砂金すくいがはじまります。
そのとしは、正直もんの佐右衞門どんがえらばれました。

としがあけると、左右衛門どんは、せっせと砂金すくいの準備をしました。土をすくうざるに、ぬれた足をぬぐう手ぬぐい。服をかわかすおき火に、おひるのおにぎり、と・・おーおーそうじゃ、金をとかしたあとにつかう金型も用意せにゃならんわい。
すっかり準備ができあがって、さぁ、村のみんなにもきてもらおうと、一軒一軒まわって声をかけました。
ところが、声をかけても誰もでてこようとはしません。みんな口々にいいました。
「おい、左右衛門どん、わかっておろうが。このとしはだいぶんまえからの長雨で、畑の作物もみぃんなやられとる。砂金すくいにいくひまがあったら、畑をたがやして、たんと作物をとらなきゃなんねぇ」

左右衛門どんはこまりました。

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大学の詩

今度は大学時代の前半に標語にしていた詩をかこう。
孟嘗君老子自省録、という流れでこの詩にたどりついた。

自省録より ―マルクス・アウレリウス・アントニヌス神谷美恵子訳)

高処からながめよ、

無数の集会や無数の儀式を

嵐や凪のさまざまな航海を

生まれ、かつ、ともに行き、そして過ぎ去っていく人々の有為転変を

きみの前に生きられたであろう人生、きみの後に生きられるであろう人生

現在、野蛮民族のところで生きられている人生を思いみよ

 

どれだけの人がきみの名を知らぬことか

どれだけの人がそれをすぐに忘れ去ってしまうことか

どれだけの人がいま、きみを誉めそやしていながら、たちまち、きみの悪口を言うようになるであろうか

記憶も、名声も、その他すべてのものが、

いかにとるに足らぬものであることか

高校の詩
高校生の時にであって、ずっと標語にしていた詩がある。
この詩とであうことで、「学ランは、期間限定のものだから、着ていることをかみしめよう!」とへんな固い信念で学生生活をすごしていたものだ。

「謝肉祭の歌」より一節 ―ロレンツォ・デ・メディチ


青春は麗しくも

哀れ、儚きかな

楽しみてあれ

何事も 明日ありとは 定かならねば
心打たれる詩
柏屋というお菓子屋さんが2ヶ月にいっぺん、発行している「青い窓」と言う小冊子に書いてあった詩。とても心打たれたので、これは、ブログに公開せねば!と思い、以下紹介。




 『 おじいちゃんの死 』 小学校6年 河合謙介

 お父さんの背中が

 とても小さく見える。

 みんなが帰ってしまった家で

 おじいちゃんのお骨の前で

 お父さんは 泣いていた。


 人前では

 なみだ一つ見せなかったのに。


 秋晴れの火葬場だったっけ。

 あの、おじいちゃんの独特の笑い声。

 あの たばこくさい体。


 おじいちゃんは

 きっと散歩に行ってるんだ。


 歯を食いしばっても

 なみだが出る。 

 おれは男だと思っても

 なみだが出る。

 大人はなんで

 酒飲んだりして

 どんちゃん騒ぎするんだ。

 人、一人、死んだんだぞ。

 お母さんなんか

 目も鼻もまっ赤で

 声も出ないんだぞ


 あれから一週間たった。

 今日、ぼくは

 市民ホールへお使いを頼まれた。

 どこかのおじいさんが

 自転車の荷台に

 大きな荷物を載せようとしていた。

 風が強くて荷物があおられる。

 自転車がたおれそうだ。

 ぼくは

 思わずかけ寄って手伝った。

 (出展先:柏屋「青い窓」より)