<< May 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
地域再生 ― ハードとソフトの限界

明屋海岸の渚は深くゴツゴツした黒い溶岩石を下敷きにして、ところどころオーシャンブルーに染まった砂場を海底にあそばせていた。波は沖合いから、朝方から吹き荒れた風になでられて、白い飛沫を勢いよく巻き込み、海面から突出した岩場にぶちあたる。近くに行くと、岩場にぶつかって飛び散った飛沫が豪快に顔にかかる。かかった海水をなめながら、やはり、おなじく波にもまれてつい今しがたまで海の底にいた取れたてのサザエを生のまま食べる。うん、うまいな。あっ、これ、おいしいね。わいわいきゃっきゃ、こわもての岩肌には十数人の男女が色とりどりの水着をはいて、へばりつき、今や夏遅しと、海水の温度の低さをもろともせずに泳ぐ姿を目にすることができる。



明屋海岸は、日本海に浮かぶ隠岐の中ノ島、海士町にある。
海士町は地域再生がうまくいっている事例として、その道の人にはちょっと有名な町だったりする。
日本全国から、「Iターン」でやってくる若者が町に住み着き、色々な地域振興策をうちだしている。ぼくの先輩もその一人で、かれが関わったイベントがちょうど訪島と重なったので、いろいろと話を聴いてみた。

すると、地域再生にはある種の限界があることがわかった。

地域を再生するためには、お金を地域内で回す必要がある。まわすには人もお金も足りないから、外部から流し込む。流し込むために、さまざまなイベントをうち、ネットを駆使して物品を売る。これまでの日本の田舎の外貨獲得施策は、おしなべて、奇怪なモニュメントをばかばか作って観光客を誘致することだった。「郷土歴史資料館」とか、特産品のキャラクターを模したイベント館とか。これらの建造物は、とりたてて、固有名詞を出さずとも、すぐにご理解頂けると思う。田舎に行ったときに、なんだかよく分からない奇妙奇天烈な形状をしたコンクリートの塊を目にしたら、「あれだっ!」とさけべば、大体正解だ。
こういった、コンプレックスの塊―コンクリートとクロムとプラスチックでデコレーションされた空間こそ、近代的であり最先端であるという錯覚―は外貨を放出する観光客はもちろん、地元の住民のニーズにまったく応えることができなかったため、建てて10年もたたないうちに、方々で赤字決算報告が聞かれるようになった。かつ、1980年代から急速に開発の手がはいり、土地にもとあった「ハード」の観光資源が消滅していく。
広葉樹で覆われていた山林は下草も生えない、かつ獣も寄り付かない植林杉に代わり(※1)、蛍が飛び交いめだかが泳いでいた河川はコンクリートで塗り固められ(※2)、風が吹けば幾重にも波打つ緑の田の面は、電信柱と電線で領空が犯され、景観とまったく関係のない企業広告でうめつくされるようになった。まっとうに余暇を楽しもうとする人を受け付けない環境が田舎には出来上がったのだ。―終末思想を信奉するニヒリストを除いて。もちろん、そんな環境にい続ける地域住民が心安らかになるはずがない。この20年間に人口が劇的に増えた地方はどこをみわたしても見つけることができない。おなじコンクリート尽くしなら、娯楽がまだある都会に若者は流れてゆく。
ハード面で人と外貨を引き寄せる魅力が、もはや地方にはないのだ。

一方でソフトはどうか。これもまた、なんともいえない難しさがある。難しさは土地によって異なるだろうから、ここでは、海士町を例にとってみる。海士町にとっての課題は、入島時期が限られていることと、当該時期の地元住民の協力が得られにくいことがあげられる。日本海に位置するため、冬場の天候は荒れ模様がおおい。しかも入島手段はもっぱらフェリーのため、日によっては島には入れない、島から出れないなんてことが多発する。こうなると、外部の人間にははなはだ都合が悪くなる。天候が良順で、比較的外部の人間が休みが取れやすい夏はどうか。今度は受け入れ側の余裕がなくなる。たとえばこの前の7月の3連休。この時期は隠岐の島全体で祭りが立て続けにある。なので、イベントを打って大量に観光客を呼込もうとしても満足に対応することが難しい。ある程度の満足度を担保し、かつIターンの若者だけで回せる人数の限界は40人。お盆の時期にもう一度イベントを打てたとして、もう100人観光客を呼込めたとして、はたしてどれだけの経済効果を見込めるだろうか。深く考えれば考えるほど、ソフトの限界を感じずにはいられない。

加えて、外貨をかせいでも地域内で上手くまわす仕組みがない。魅力も消費する場所もなくなった地方から、どんどん人が流出していく。何とかならないものか、悩みどころだ。



海士町はたしかに、若い人をひきつけ、活動を促すことに成功した。だが、ハードとソフトの課題をうまく解決しながら、かつ域内に消費できる仕組みをつくっていかないと、やってもやっても実感のない疲れと虚無感にさいなまれる、負の無限ループにはまってしまうだろう。ここからが正念場だ。

※1 皮肉なことに、外国から輸入される木材との価格競争にさらされて、国内の植林杉の手入れは、まったくされていない。手入れをしても、売れないから、やればやるほど赤字が出る。手入れのしない植林杉は、日光を地面に通さないほど生い茂るから下草がはえない。つまり土を留める地盤がよわくなる。結果、何が起こるかというと、大雨による土砂崩れが発生する。出雲大社の近くの飲み屋でおじさんが話していた話は、末期症状の山村を端的にあらわしていた。2年前の台風のときに、大雨が降って植林杉が植わっていた一帯が土砂崩れをおこした。島根県は財政が不足していたため、すぐに土砂を撤去することができなかった。ようやっと、費用が工面できて入札しようと今年したところ、おりからの不況で、地場の土木会社はすべて倒産。撤去機械を購入したシルバーセンターが一本勝ちで受注した。山村は国の政策に振り回されて、森を壊し、壊した後には土木業に転向させられ、挙句の果てに潰される。
 
※2 アレックス・カー著「犬と鬼」から引用する

「災害列島

 日本は自然災害に手ひどく痛めつけられ、かわいそうな国と自ら思うようになり、被害妄想的な考えが定着してきている。マスコミではそうしたテーマは日常茶飯事で、学校でも教えられる。日本では自然をそのままにしておくことは危険だという理由にもなっている。
 それがよくあらわれているのが、九六年十二月八日付けの毎日新聞の社説である。「この国は災害列島で、地震、台風、豪雨、洪水、泥流、地滑り、時には火山噴火も起こりやすい。建設省がまとめたデータによれば、泥流の発生しやすい地域は七万ヵ所、地滑りの起きやすい地域は一万ヵ所、危険な斜面は八万ヵ所ある」。「身も凍る戦慄」を感じたいのなら、最後に引用された数字をくりかえし見ればいい。これらは公式な数字であり、建設省はすでに、近い将来コンクリートで覆う地域を八万ヵ所も指定していたことになる。
 災害列島のプロパガンダは国中どこにでも見られるが、とくに目立つのは「敵としての川」の報道である。このジャンルで典型的なのが、記事を装った「河川と闘った人々」というシリーズ広告だ。『新潮45』に九八年から九九年にかけて毎月掲載されたものである。毎回、昔の地図や絵、危険な川を治めた歴史上の人物を載せ、武田信玄のような英雄的偉人を大きく取り上げていた。川との闘いは伝統に根ざした崇高な行為だと言いたいのである。こういうページに金を出しているのは、「河川環境管理財団」などの機関で、運営資金は建設業界から流れているし、そこのスタッフは河川局の天下りというわけだ。」

(アレックス・カー「犬と鬼」p46-47)

 

玉造温泉 再生プロジェクト(仮称)

7/17は玉造温泉にたちよった。駅をおりて、小道をひだりにそれ、川幅は10mもないだろうか、ゆっくり流れる小川を右手に、山手まで歩くこと15分ほど。そこに玉造温泉があった。つるさんたちとまちあわせて、「玉造温泉ゆーゆ」でひとっ風呂あびたわけだが、いやー、しかし、大変だ。玉造温泉。このままだと、20年後になくなってしまう。

何が大変なのか。おおきく3つある。

一つ目は、景観がなんの変哲もなかったことだ。駅からお目当ての旅館まで続く道は、どこにでもある風景が延々続く。アスファルトで塗り固められた歩道に、コンクリートブロックで両岸を舗装され、クロムの手すりで川床までおりることができる小川、行書体でそれらしくかかれたプラスチックの旅館の広告。わざわざ、遠くまできて目にしたいとはおもわないものがびっしり。

二つ目は、竹林が山の頂まで達していたことと植林杉がぼうぼうに伸びていたこと。つまり、手入れが入っていない。あと5年もすれば玉造温泉一帯の小山が、手の入っていない竹林と杉林で埋め尽くされる。そうなると、四季折々で山が表情を変えなくなる。手入れが入っていないので、竹が放射状に伸びて、見た目にも醜い。手入れが入っていないから、下草が育たない。獣がよってこない。―小鳥の鳴き声もあまりしない、そんな閑散とした森の息遣いになってしまう。

きわめつけの三つ目は、「玉造温泉ゆーゆ」の存在だ。箱物行政の遺骸ともいうべきこの施設のサービスレベルの低さ、景観のぶち壊し具合は言語に絶する。山間の湯治場にそぐわないコンクリート。ユーザビリティよりもデザインを重視した設計(※1)。平日の仕事終わりに通っている「ゆけむりの庄」のほうが幾倍も良い。しかもわざわざ飛行機に乗らなくても通える距離だ。


コンテンツがこの有様なので、イベントや料金体系をかえても、短期的にも、長期的にも、温泉町の首が回らなくなる姿が容易に想像できる。せっかく、古くからある湯治場であり、かつ出雲という土地柄が本来持つ神秘性を考えると、このままにしておくのはもったいない。ので、自分なりに再生計画案(あくまでアイデアレベル※2)をここに書いてみる。


写真出展元

■案その1 山整備を都市部の労働力で補う

たとえば、gooddayのような環境サークルやshaking spiritsのような間伐をしている人たちを呼ぶ。で、杉や竹林を伐採してもらう。もちろん、宿泊費は少し割安にして、参加意欲を高めてもらう。彼らに伐採してもらった間伐材は町の景観保全に使用する。
杉は川辺の手すりや、旅館の柵に、竹は簾状にして、各旅館の窓辺にたらす。長いものはうまく使って電信柱の周りをコーティングするのに使ってみてもよいかもしれない。川の手すりは当然朽ちてくるので、3年周期で取替えをしてもよいだろう。そのたびに、新しく間伐が行われ、新しい人が玉造温泉に訪れる。自分の手が温泉町の景観に残るので、ツアー参加者からのリピートも見込めるかもしれない。


■案その2 出産・育児施設、特別養護施設への公共事業投下

現地の人が住みやすい環境を作り出さないと、いくらコンテンツや見た目に予算を投下しても、短期的な活動になって、いずれは立ち消えてしまう。そこで、産業の担い手である新しい世代が生まれやすいよう、出産・育児の施設をつくる。もちろん、観光地なので、町の景観に配慮して、概観は純木造建築にする。看板も出さない。出す必要もないだろう。せっかくなら、この建設に植林杉をつかってみてもよいかもしれない。そのあとに、養護施設の建設だ。温泉地区ならではの強みを活かした施設も考えられるかもしれない。もちろん、この施設も概観は純木造建築だ。間違えても、クロムやコンクリートや電光掲示板で塗り固めてはいけない。


■案その3 若年層のイベント誘致

「若い人がどれだけ関心を土地に持ち続けるか」その魅力付けが、土地の振興には必須だとおもう。既成概念を取っ払って、柔軟に発想するのは、若ければ若いほどよい。若いうちに、玉造温泉で強烈な思い出をつくってもらうと、それが、若者の心に、「玉造温泉=第2の故郷」という記憶を定着させるかもしれない。ぼくなら、いろいろなジャンルで、一番になった高校生を招待する。
たとえば、ブラスバンドの淀高を招待して、宿泊料をただにする代わりに演奏会を開いてもらう(※3)。川の上流のどこかで演奏会をしてもらって、地域住民に還元する。あわよくばのおこぼれで観光客にも参加してもらう、位のスタンスでやる。地域の人が楽しみにするようなイベントのほうが、観光客用にしつらえられたイベントより、魅力が出る。ブラスバンドだけでなく、たとえばチアガールとか、合唱とか、いろいろな全国大会で一番になった団体をよぶと、地域の子供たちにも刺激になるだろう。




■案その4 電信柱、電線の埋設

詳しくはいま明確にいえないけど、役所にかけあって、電信柱・電線の埋設をする。これだけで、だいぶん景観が改善されるだろう。電信柱・電線にはいろいろと利権が絡んでいるので、難しいと思うが、事例がないわけではない。神戸の摂津本山北部、三宮南部の事例を聞いてみるのも参考になるかもしれない。


■案その5 地域住民の他観光都市への派遣

30代より若い人間を複数人、他観光都市へ派遣する。はっきりいってしまうと、こういった事業活動は、とうの本人(当該地域住民)が主導をにぎらないと、絶対にうまくいかない。外部から来たお偉い学者先生や小役人や有識者に身を預けてしまってはいけない。耳を貸すのはぜひやったほうがよいけど、あくまでも行動の主体は当該地域住民だ。住民が生活に不便を感じることなく、かつ住みやすいとまでおもうものでないと、長続きしない。より、最先端の考え方、ものの発想を促すためにも、ぜひ、若い人間を他の観光都市に派遣しよう。国内だけでなく、海外とくに観光産業が盛んな東南アジアや西欧各都市を選ぶ。世界レベルで、なにが観光客をひきつけるのか、なにが観光客を落胆させるのかを学ぶのだ。学んだ内容、気づいた事柄はすべてリアルタイムでブログで報告+発信をする。
リアルタイム発信をすることで、より投資回収のスパンを短くすることが可能だろう。使えるアイデアは、なにも帰国をまたずとも、討議を重ねた上で、使っていけばよいのだから。


みたいなことを考えながら、玉造温泉を一頃眺めてみた。あくまで、これは一案。

※1 つまり使いづらいことこの上ない。たとえば、エレベーターから受付までしばらくコンクリートと薄暗い蛍光灯の下で、左に管を巻いた廊下をひと時進まなければならない。まったくのナンセンスだ。
※2 実際に住む身となると、当然、いろいろとおもうところはあるとおもう。観光地とはいえ、あくまでも、その土地に住む人が「心地よく住める」ことが大前提だとおもうので、あくまで、これはアイデアベースとしてとらえてほしい
※3 一人の宿泊費を¥7,000とすると、100人の部員で70万。会場設営などで30万ほど使って、約100万。観光客向けでなく、住民向けであることを考えると、「変に」予算を投下しなくてもよい。なにより少ない投資をはるかに凌駕するアウトプットを高校生は出してくれる。